KIN の如く生きる

今日はマヤ暦の話です。マヤの暦は自然の流れや、人体と調和し、宇宙法則に即した暦です。古代マヤの神官が使用していたツォルキンという暦は 20日×13月=260日からなります。20は「生命の定数」として、それぞれが持つ特有の性質や傾向を表しており、13は「宇宙の定数」として、エネルギーレベルに関連したものを多く表しています。

私たちが今使用している暦は、グレゴリオ暦といって1年が12か月、1時間が60分という、12と60という周期のリズムからなります。これは、資本主義経済に即した人間が作った暦のために、ここ100年の間に、自然体系が崩れ、環境破壊がすすみ、現代社会の中で、私たち人間の自然のリズムも崩れてきています。

マヤ暦の叡智を取り入れることは、自分らしさをとり戻せる手段とも言えます。さらには、このツォルキンを意識して生きることで宇宙意識とつながると、日々の生活の中にシンクロニシティ(引き寄せ)が起こり、自分の願いも次々と叶い始めます。

シンクロニシティが多い人(宇宙が味方してくれる人)に多く見られる特徴は・・・

①エゴがない    ②素直    ③執着がない    ④シンプル    ⑤宇宙の流れに逆らわない        ⑥宇宙を信じている    ⑦自分の気持ちに正直    ⑧手放すことに怖れがない    ⑨心に余裕やスペースがある    ⑩愛に満ちている

今、これがすべてあてはまらずとも、マヤ暦占星術を生活の中に取り入れていくと、意識レベルが変わってきます。愛と感謝のマインドになり、人生においてワクワクすることを探求するといった状態で生きていると、それと同調するようにポジティブな波動の出来事や人々、イベントがあなたに引き寄せられてきます。

私は1月に引き続き、この前の日曜日も、マヤ暦占星術を学ぶために、都内で行われた一日勉強会に参加してきました。「KIN」というのは、260のうち、自分が何番を持って生まれてきたか、をあらわすソウルナンバーです。生年月日から算出します。そしてそこから導き出される「太陽の紋章」(顕在意識を象徴)、「ウエイブ・スペル」(潜在意識を象徴)、「銀河の音」(行動パターンや専門性)の特徴から、自分の魂が何を願い、地球で何をするために生まれてきたのか、などを知ることができます。

私は自分が、今、魂の願いの通りに生きていることを実感できました。そして、試練と思われた出来事こそが、この人生を導いていたことも知りました。人生に「もしも」はありませんが、仮にもしも、そういったことがその時起きていなかったら、今も魂の願いを封印し、漠然とした空虚感を抱え、愛ではない人生を送っていたと思います。

この喜びにまだ出会えていない方に、ぜひその喜びを知ってほしいと心から思います。こちらのサイトから、無料の6日間メール講座が受講できます。自分の「KIN」ナンバー、「太陽の紋章」などが、生年月日を入れるだけで、出てきて、魂の願いを垣間見ることができます。

http://mayan-astrology.org/mml

ぜひ、参考にしてみて下さい。あと、ひとつだけ、お話ししたいことがあります。生年月日から、算出するなら、同じ生年月日の人は同じ人生になるの?と思われる方が多いと思います。魂の願いは似ているかもしれませんが、同じ人生にはなりませんよね。それは、その人の選択と在り方が違うからです。選択は、ワクワクを選んで生きているかどうか、在り方は愛と感謝の心で生きているかどうか、ということです。

「KINの如く生きる」とは、自らが選んできたKINの特性に沿った生き方を実践することです。それこそが、あなたが、輝いて、生きたかった本当の人生です。

「汝自身を知れ」。自分の中にすべての秘密が隠されています。

 

『マヤ暦占星術で “なりたい自分” を叶える!』 MASAYUKI著  カシオペア出版 参照

 

生まれる前の思い出

立春ですね。春という文字を目にするだけで、心が躍ります。昼間の時間もだいぶ長くなりました。秋に花壇に植えたチューリップの芽が顔を出しはじめました。春はもうすぐ、そこまで来ています。とは言っても、寒さはこれからだと思うので、どうぞ、お身体を大切に暖かくしてお過ごしください。

5年ほど前のことです。ある人と目が合った時に、強烈に魂が揺さぶられ、時間が止まったような経験をしました。それから、その人に二度と会うことはありませんでしたが、その日以来、「あの人は誰だったんだろう」といつも考えていました。

その頃、ウォーキングが日課でした。会って何か月かした後、ある大きな木の下に来た時、目の前にスクリーンが現れたんです。

私はその人と雲の上を飛んでいました。雲の下に人間の世界があって、今から降りるところだということがわかりました。その人は言いました。

「きみはだいじょうぶ。何があっても神さまがついていてくれるから。神さまがいつもきみを愛していてくれるから。困ったことがあったら、神さまを頼りにすればいいから。そしてまたきっと会おう。」

そうして、先に雲の中に降りていきました。ひとりになって、初めて孤独というものを知ったような気がします。意を決して、雲の中に入りました。下へ降りていくほどに、記憶がなくなっていくのが感じられました。気付いたら、木の下に立っていたんです。

地球の時間でほんの一瞬の間にこれを見ました。スピリチュアルでもなく、シルバーバーチの本を手にしたばかりの頃で、それまで、不思議なことなど何も起こらなかった私に訪れた信じられない体験でした。

悩みと迷いの中にあって、それまで積み上げてきたものが、全部崩れ去り、自分の人生はすべて間違いだった、と思っていたころです。苦しみは始まったばかりで、後に待ち受ける人生最大の試練の日々の序章でした。

この言葉にどれほど支えられたか、想像していただけることと思います。この言葉はこの時が来たら、私に届けられるようになっていました。宇宙には時間は存在しません。この瞬間にすべてがおさめられています。必要な時、自分の魂がアクセスするのです。特に、私が助けを求める時、私の魂がそれにこたえて引き出すのです。

今、思うと、あの時、目が合った時、あれは目覚まし時計が鳴り響いたんです。眠っていた本当の私に、目覚める時が来たことを告げていました。その人は、その役割を担っていたということです。

人生に偶然はありません。すべて必然です。運命という言葉にさえ、愛を感じます。私が想像もできなかった贈り物を用意して待っていてくれました。

今、願い事は何もないのです。宇宙が私のために用意してくれるものを全部受け取ろう、と思うから。私の頭が考えるちっぽけな夢より、宇宙ははるかに壮大で、あっと驚くような素晴らしいものを、与えてくださると知っているから。

あなたに会えたことも贈り物です。会えるなんて知らなかった。でも会えるようにしてくれた。私のこれからの日々が、あなたと共にあることに心から感謝します。宇宙が、あなたのことをいつも愛していてくれることを、あなたが感じながら生きていってくれますように。

祈りはいつも、ここに

このお正月は、久しぶりに初詣に行きませんでした。忙しかったのもあるのですが、「行きたい」気持ちにもならなかったんです。

毎朝、感謝の祈りの瞑想をしていると、体にエネルギーが満ち、涙がこぼれます。目に見えない存在とのつながりを感じ、喜びと幸福で胸がいっぱいになります。このような至福感は、神社の前で手を合わせても、感じられたことのないものでした。

神社には御神体が祀られていますが、一人ひとりの人にとって、肉体は神社の建物、霊魂はその御神体と言うこともできると思います。肉体は霊魂が棲むお宮です。

祈りは「私にありがとう」という思いで終わります。体を作ったのは私ではありません。細胞一つ作ることはできません。その細胞の一つひとつが意識を持ち、私の感情や思いに反応しています。「愛している」と思う時、すべての細胞が愛の感情で燃え上がります。否定的な感情を持った時も、その否定的な思いで燃え上がるでしょう。

体と心と魂は連動していて、切り離すことはできません。人が唯一努力するべきことがあるとしたなら、それは、自分の体と心と魂が一致しているか、常に気を配ることであると感じています。

水の博士で知られる故江本勝博士の水の結晶の写真をご覧になったことはありますか? コップに水を入れて、「愛している」「ありがとう」「ばかやろう」などと書いた紙をはっておくんです。そして、結晶を観察してみると、「愛している」「ありがとう」などの言葉をはっておいたコップの水は美しい結晶を作っているのに対し、「ばかやろう」などの言葉をはっておいたものは、結晶が醜く壊れ、中には結晶を作らないものもあったそうです。

日本には「言霊(ことだま)」という言葉があるように、言葉には霊が宿る、という信仰があります。音の響きと共に、書き言葉としてもちゃんと波動があって、それが水に反映されているということです。

人体は70%以上が水であることを考えると、その人がいつも思っている言葉、想念がどれほどその人に影響を与えているかがわかります。同じ飲み物、同じ食べ物を摂っていたとしても、どんな気持ちで摂っているかで変わってきます。

もちろん、ジャンクフードや化学物質で汚染されている水や食物を避けることも大事でしょう。これらは物理的に細胞を傷つけていくでしょうから。その上で感謝していただけば、体に入っていく時は栄養価も増し、より体を元気で丈夫にしてくれるエネルギーへと変換されていく気がします。

先日、突然、伯父が設計を担当したという、乙事(おっこと)諏訪神社や諏訪社の御柱(おんばしら)祭の資料一式を送ってくれました。映画「君の名は。」に出てくる湖のモデルが、諏訪湖ではないか、と言われており、私も映画は2回も見に行きましたし、「君の名は。」展をしていた小海町高原美術館にも行ってきました。そんな折でしたから、このシンクロニシティに驚きました。

伯父が宮大工出身であったことも、乙事神社の復元の設計をしたことも初めて知りました。乙事神社は幣殿が国の重要文化財に指定されているのですが、本殿を有しない神社の珍しい例です。本殿は建築されていたのですが、火災で焼失してしまったようです。今では御神体は後ろにそびえる山、自然、森羅万象というとらえ方もなされているようです。

御神体を祀る本殿が形として残っておらず、森羅万象、八百万の神が御神体であるだろう、という考え方は今の私にぴったりでした。暖かくなったら、ぜひ、この神社を参拝し、伯父に会ってこようと思っています。

特定の何かやどこかに神がおられるのではなく、あらゆるところに、すべてのものに神が宿る、と考えてきた日本人の心の豊かさに思いをはせました。自分の中を流れる水、その水が清流であり、いつもサラサラと流れているよう心がけて生きていくことだけでも、信仰と言えるのではないかと思っています。

咲かせたい花の種を蒔きましょう

皆さんは、「自分が現実を創造している」と思いますか?それとも、「現実に起きることが、自分の人生を左右している」と思いますか?

私はほとんどいつも一人で出かけます。私がしたいと思うことを同じようにしたい、と思ってくれる人を探しているうちに、自分の情熱の火が消えてしまうからです。誰かをあてにするのも嫌だし、期待するのも好きじゃないし、と思っているうちに一人が一番居心地良くなってしまいました。

たまに誰かを誘ったりすると、その人に都合の悪いことができて、行けなくなります。忙しい人です。特に心の中で、忙しい人です。楽しいことをするのは気が引けて、心から楽しいと思ってはいけない、と(心の底で)思っています。もし、これを本人に言ったら、たぶん怒ります。そんなわけないって。

もちろん、顕在意識でそんなこと思う人はいません。楽しむことはいいことに決まってるじゃないって言うでしょう。もちろんです。楽しむことはいいことです。でも何で、楽しもうとすると、それを阻止するような出来事が起こるのでしょうね?自分で足かせを作っているとしたら?

魂レベルまで降りて行けば、気付くことのないたくさんの封印した思いがはりついています。人類の歴史を見ても、過酷な時の方が多くて、今ほど快適に暮らせた時代はなかったように思います。過酷な時代を必死で生き抜いてくれば、具体的な思い出は忘れてしまっても、癒しきれない傷は残っていくでしょう。それが、積り重なって、今ここにいる私たち一人ひとりは存在しています。

だから、白紙の状態で生まれてくるのでもないんです。今生においても、幼少期から社会の通念や親や教師や周りの影響を多大に受けて、大人になるころには、本当の自分て何なのか、本当にしたいことは何なのか、わからなくなってしまっています。

「象さんの鎖」の話を知っていますか?象は小さいうちに鎖につながれると、大きくなってからも、その鎖を引きちぎることはしないそうです。やってみれば、簡単に引きちぎることはできるのに、できないと思いこんでいるから、やろうともしないのです。これは象だけの話ではありません。私たちも見えない鎖にずっと縛られています。

外で起きることが自分の人生を左右していると思っている限り、変えることはできません。主導権を握っているのは外の世界です。私は被害者です。

でも、勇気を出して、自分が現実を引き寄せ創造していると考えてみてください。いやなこと、つらいこと、不都合なことがたくさんあって、それを自分が創造しているなんてとても考えられませんか?

でもきっとどこかで、種をまいたのですよ。いつまいたかも忘れてしまうくらい前のことだったかもしれません。いつかまいた種が成長して、今その花を見ているのです。とげだらけの痛い花だったら、そういう花を咲かせる種をまいたのです。良い香りの美しい花だったら、そういう花を咲かせる種をまいたのです。

過去にまいた種が、どんな花を咲かせるかは見守るしかありませんが、今日まく種は、今日選んでまくことができます。この瞬間にも、あなたも私も新しい種をまいています。どんな花だったらいいですか?咲いてほしい花の種を選んでください。そして、大きな花を咲かせるためには、土を耕して肥料を施す必要もありますね。種は心という花壇に植えるのです。あなたの心をふかふかの土にしてください。

固定観念でカチカチになった土では芽を出すのも大変です。柔らかい心になって、まきたい種を探してきて、まいてください。今日、今、まいた種は必ず大きくなっていつか花を咲かせます。時間がかかっても、水やりを忘れずに大切に育ててくださいね。寒さにあてなければ咲かない花もありますよ。チューリップのように。

チューリップの花を咲かせたかったら、厳しい冬を越す覚悟も必要です。植えてからずっと暖かかったら、花を見ることはできません。チューリップの花を咲かせるのに、寒さが必要と知らずとも、神さまはちゃんと寒さを用意してくださいます。だから、寒くていやでも、冬を通りすぎなければならないのです。種をまいたら、花が咲くのを楽しみにしながらも、自然にゆだねる信頼が必要です。

喜びの花を咲かせる種だったらいいですね。愛の花を咲かせる種だったら素敵ですね。あなたの心の花壇があなたの大好きな花でいっぱいになるように願っています。心の花壇はきっと、あなたの目に見える世界にも同じ花壇を作っていくことでしょう。