私たちは光の多次元存在

このところ、子どもの頃のことを思い出す機会が度々、訪れています。そこに私の原点、今思い出さなければならない記憶が詰まっているからのような気がします。

幼い頃から、星を見るのがとても好きでした。田舎で夜になると、暗い街灯が一つあるくらいでしたから、夏でも、天の川が見えるほどの星空で、冬には凍える寒さの中、庭で降るような星を見るのが好きでした。

どうしてこんなに星空を見るのが好きだったのか、何年か前に答えをもらいました。そこに故郷があったからです。

全天で一番明るく輝く星、シリウス。その星が一番好きでした。青白くひときわ美しく輝くその星は私の魂とつながっていたのでしょう。シリウス、という名前を知ったのはもっと大きくなってからのことでした。

人生で一番つらかった頃も、いつもシリウスは私のそばにいてくれました。ある日の夕方、傷ついて、泣きながら車を走らせていると、フロントグラスの真ん中にシリウスが現れ、ずっと私を見てくれていました。私のことを思い遣ってくれているのが痛いほどわかりました。私のことを知っていて、今この試練が訪れていることも予定通りで、私が乗り越えることも全部わかっていて、ただ、光で包んでくれていました。

7月26日は地球新年です。この時期は “ライオンのゲート”とも呼ばれ、獅子座がギザのピラミッドに整列します。夜明けの空、ブルー・スターシリウスが太陽のすぐ近くに昇ります。黄金の太陽とブルーの太陽は目に見える太陽と目に見えない太陽です。その二つの恒星は愛と恵みを地球に与え、サポートしています。

ライオンのゲートは7月26日に開いて、8月8日にピークを迎え、8月12日に閉じます。多くの終了と始まりが光の本流と一緒になってライオンのゲートからやってきます。もう不要なものは新たな恵みの力で洗い流され、その結果、新しいものが根付いて祝福がもたらされます。

古代エジプトでは、それがはっきりした形をなしており、川の氾濫が起こり前年の作物を押し流して肥沃な赤土の泥土にし、それが新たなシーズンに作物が育つ苗床となって人々と大地を豊かにします。

もう一つ、子どもの頃のこと。卒業式の時、在校生が必ず歌う「ほたるの光」。この原曲は「オールド・ラング・サイン  ( Auld Lang Syne )」という曲です。

地球に古代レムリア大陸があった話を聞いたことがある方も多いと思いますが、ご存知ない方は調べてみてください。歴史の授業では決して教えられることはなく、自分の魂が真実と感じるか、ただの伝説であると感じるか、すべて個人にゆだねられています。

この曲は古代レムリア大陸が太平洋に沈む時、僧侶、尼僧が、人々の命の輝きを支え、安心感と勇気を与える手助けのために歌いました。恐怖から心を救うことができれば、たとえ、肉体は滅びようとも、エーテル体は愛と平和に包まれ、恐怖が細胞記憶にまで残るようなトラウマとはなりません。トラウマとなった場合は、その傷が癒えるまで長い時間がかかります。レムリアは品位を保って沈みました。

生き残ったレムリア人はシャスタ山のテロスに新しい都市を建設しました。でも3次元の視力では見えません。ハートで感じてみてください。

そしてこの曲は、地球の誰かがアイルランドの人を経由して、再び地球にもたらしました。「古き時代の友は忘れ去られるものだろうか?」という言葉が歌に添付されました。

「レムリアが完全に沈む前に、ある日、遠い未来に、私たちの多くがまた集まって、 “地球が勝利した”  ことを知って、また一緒にこの歌を歌う」と予言されました。今生きているこの時代まで、長きにわたってこの祝いの日とその素晴らしい予言が的中することが待たれていました。私たちは長い間待ちに待った「再会」を果たそうとしています。

大人になってこの原曲を聞いた時、涙がこぼれました。聞くたび、涙が出て来るのは、卒業式の時のことを思い出していたんだろうと思っていましたが、レムリアが沈んだ時のことを思い出していたのです。その時、そこにいた。体中の全細胞が私にそう言っています。

周波数を上げることがどうして大事なのかは、そうしなければ思い出せないからです。私も、5年ほど前までは、全くこんなことを思うことのない、ごくふつうの人生を生きていました。でも漠然とした不安や、大事なことを忘れているような感じが、いつもつきまとっていました。だから、やっぱり、思い出すべきことを思い出すまでは、本当の自分にはなれないし、本当の自分の人生を生きていないんだと思います。

「オールド・ラング・サイン」、聞いてみて下さい。もし、あなたが私と同じように、この曲を聞いて、涙があふれてきたら、魂が聞くことによって癒されていきます。レムリアと共に仲間と海に沈んだ時に、歌った歌です。

この内容はライトワーカー・ジャパンのサイトから引用させて頂いています。今は有料のサイトになっていますが、ご興味があったら一度訪ねてみてください。私はずっと支えてもらっています。

 

 

創造のはじまり

『アナスタシア』(ロシアの響きわたる杉シリーズ)も4巻目に入りました。「共同の創造」というタイトルです。

アダムが初めてイブに出会ったところから始めます。

 

神は大宇宙は創造主は、ありったけの愛をこめてイブを生み出し、アダムへ贈った。しかし、アダムはその新しい創造物に対して、「また創造物が近づいて来たぞ。何も目新しくはない。」

大宇宙の本質たちがざわめきだした。”二つの完全な創造物たちは、互いの価値を認め合うことができなかった。神の創造に完璧はなかったのだ。”  ただ、大宇宙のざわめきの中で、愛のエネルギーだけが、たった一人で創造者をかばおうとし、その柔らかな輝きで彼を包んだ。

「私の愛よ、おまえは光り輝き、そしてやさしく抱擁する。私の願いだ、地上に降りてほしい。あますことなくおまえのすべてを地上に。おまえ自身で、おまえの偉大なる歓びのエネルギーで、彼らを、私の子どもたちを包みこんでやってほしい」

愛と神との別れの対話は、すべての地上の愛のはじまりの音だった。

「私の神よ」創造主に愛が呼びかけた。「私が離れると、おまえは独り、永遠に目にみえない。すべての次元空間で命を宿すものたちから、みえなくなってしまう。おまえに力を与える温もりは二度とおまえの魂まで届くことはない。おまえの魂は冷え切ってしまう」

「私のためだけでなく、すべての存在のために、その温もりを地上から放てばよい。私の息子たち、娘たちの行いが、それをとてつもなく増幅させるだろう。そして地球全体が光輝く愛の温もりで、空間に燦然と光を放つだろう。みなが地球からの、この上ない歓びをもたらす光を感じる。それによって私のすべてのエネルギーは温まることができるのだ」

「神よ、私が離れると、おまえはみなにみえなくなる。人間を通しておまえの名で他のエネルギーの本質たちが人間を従属させようとするかもしれないのだ。そのときおまえに何ができようか?」

「新しい一日とともに、私は太陽として昇り出る。その光は、一人ひとりが自分の魂で私の魂と語らうことができるのだと、理解する助けとなるだろう」

愛はたった一粒の愛の小さな火の粉を残して地球へ向かった。愛は自分の後を追いかけてくる一番小さな星を感じた。それは神からの愛の最後の火の粉であった。

愛の光はささやいた。「なぜ私のたった一粒の火の粉でさえ、おまえのそばに残さないのか?」

大宇宙の暗黒から、もはや誰もみることができない、そして誰にも理解されない神が答えた。「私に残すということは、我が娘たちや息子たちに、すべてを与え尽くすことにはならない」

大宇宙の愛のエネルギーが、最後の火の粉に至るすべてのエネルギーが、地上の人間を、そのすべてを包みこんだ。すべてが愛の中にあった。果てしなく広がる大宇宙の真っただ中、すべての次元空間で同時に生きる、すべての本質の中で最も強い、人間が立ち上がった。

 

私にはこの時の空が、その場面が、今、目の前で繰り広げられているように感じられ、神と愛の想いが確かに胸の奥に響きわたりました。私たちは自分の奥深いところで、この話を知っています。

神が自分のすべてを捧げるほどに、私たちを愛してくれたこと、私たちが必ずや神を思い出し、神と愛の贈ってくれた愛のエネルギーを、自分の魂の中から地球上のすべてに、宇宙空間に向けて解き放っていくこと、そして必ずいつか、神のもとへ帰ってきてくれることを、今も信じ続けてくれている神に、心からの愛を贈りたいと思います。

『美しい人に ~愛はほほえみから~』

私は以前、中学校の英語の教師をしておりました。私が担任をしていた時の主任の先生が、先日電話をくれて、話をしているうちに、「渡辺和子さんも亡くなってしまったわねぇ」とおっしゃった時、初めて渡辺先生の訃報を知りました。

もうずいぶん前から、ニュースは見ない、新聞は読まない生活をしているもので、世間の動きを知りません。その主任の先生にも、見ない理由を聞かれたのですが、お肉を食べなくなった時と似ています。「食べたくなくなった」ように「見たくなくなった」ということです。

朝から、若いきれいなアナウンサーが怖い顔をして、暗いニュースを伝えているのをたまに目にすると、俯瞰している私でも、周波数が下がりそうになるので、これをマジに見ている人たちの周波数は落ちる一方だろうと思います。

渡辺和子先生のことで、一番に思いだすのは、教師5年目の秋に、英語教師の研究会が東京で開かれた際、記念講演を聞きに行った時のことです。仕事は多忙を極めていたのですが、どうしても渡辺先生のお話を聞きたくて、無理を言って一日、勉強に行かせてもらいました。

『美しい人に』という著書のあとがきで、作家の田中澄江さんが、はじめて渡辺先生にお会いした時、「美しい。その美しさをなんと表現しようか。」と書いておられました。私はそれを読んで以来、いつかきっと渡辺先生にお会いしたいと思っていたので、夢が叶ったわけです。

静かに笑みを絶やさず、話される言葉の一つひとつが真珠のきらめきのようでした。そこにおられるだけで、涙が出そうになったのを今でも思い出します。

「生徒の一人ひとりをどれだけ大切に思っているか、ひたすらに自分として育つことを願う心を持っているか」

「ありのままの傷だらけの不完全な自分を愛してくれる人がたった一人でもいてくれたら」

「自分をかけがえのない自分だと見てくれる人に出会って、初めてその人はありのままの自分を見ることを恐れなくなるのです。そして自分の負っている傷を一緒に包帯を巻いてくれる人がそこに一人いることによって、自分の傷を隠さないで認めることができる。同時に他人が傷を負っていたら薬をつけて、包帯を巻いてやれる、やさしさと強さを持った一人の人格を持った人に成長していくことができる。」

今も大切にとってあるその講演内容から抜粋しました。当時、これらの言葉にたいへん感銘を受けたのですが、今読み返すと、新たな気付きがありました。

ありのままの私を愛してくれる人、かけがえのない自分だとみてくれる人、その人が一人でもいたら・・・その人はどんな人にも絶対ひとりいるんです。それは自分自身です。世界中のすべての人が私を見捨てても、私だけはどんな時も私の味方です。私を助けてあげることができます。

本当にどん底までいくと、人には話せないことがたくさんありました。その時はじめて、自分というかけがえのない存在に出会ったのです。肉体的にも、精神的にもずたぼろになって、そんなずたぼろの自分といつも一緒にいてくれたのは自分だけだったこと、そんな惨めな私といつも一緒にいてくれた私自身への愛はゆるぎないものになりました。

渡辺先生がとても大切にされていたことの一つが「ほほえみ」です。その詩をご紹介して、天国の渡辺先生への感謝の気持ちに代えさせて頂きます。

『ほほえみは お金を払う必要のない安いものだが    相手にとって非常な価値を持つものだ     ほほえまれたものを豊かにしながら  ほほえんだ人は何も失わない    フラッシュのように瞬間的に消えるが   記憶には永久にとどまる

どんなにお金があっても   ほほえみなしには貧しく   いかに貧しくても   ほほえみの功徳によって富んでいる

家庭には平安を生み出し   社会では善意を増し   二人の友の間では友情の合言葉となる

疲れたものには休息に   失望するものには光となり   悲しむものには太陽   いろいろな心配に対しては   自然の解毒剤の役割を果たす

しかも買うことのできないもの    頼んで得られないもの    借りられもしない代わりに盗まれないもの    なぜなら自然に現れ   与えられるまで存在せず   値打ちもないからだ

もし   あなたが誰かに期待したほほえみが得られなかったら    不愉快になる代わりに   あなたの方からほほえみかけてごらんなさい    実際   ほほえみを忘れた人ほど   それを必要としている人はいないのだから 』

 

先週の土曜日、甘利山に行ってきました。

 

 

『アナスタシア』

今日、公園を裸足で歩いてきました。大きな木があってその木の根元に立って、木の氣を感じました。どこまで、この木の氣を感じるだろう、と思って少しずつ、手を離していきました。手が一番広がったあたりまで感じていたのですが、その後、思いっきり後ろに引っ張られる感じがして、とても不思議でした。

空間はエネルギーで満ちているんだ、と思いました。私を後ろに引っ張ったエネルギーは目には見えないけれど、確かにあったんです。その木も、私も、石も、鳥も、花も形としては一個の個体としてあり、外側の形がわかりますが、エネルギーはどこまでいっているのか、見ることはできず、すべてがエネルギーのプールの中でお互いに在り、お互いを支えあい、はぐくみあっているように感じました。

以前、どん底にあった時、公園の一本の木が、私の痛みを感じて引き寄せてくれた、と書きました。木は共感能力が高いから、自分のエネルギーフィールドの中で私を受け止めてくれたのでしょう。

人もあの木のように人の痛みを感じて包んであげられたらいいのにな、と思います。最初から一つで離れていない、ということを知らなかったから、相手を責めたり、戦争をしてきただけなのです。

相手を打ち負かしても、決していい気分になれないのは、相手と思っている人は自分自身であり、根っこのようなところではつながっていて、同じものを共有しているからです。

私は今、『アナスタシア』という本を読んでいて、私を含め、人類は知らないことだらけだな、と実感しています。アナスタシアが話すことは、魂のレベルに直接、働きかけ、「知っている」、という感覚を呼び起こします。でも今までの私は知らなかったことばかりです。だからできなくても無理はなかったし、幸せな世界でないのは当然のことのように思われました。

初めの方の一節をご紹介します。

「神は宇宙のエネルギーを貯蔵するために、シベリア杉を作られた。愛に満ちた人間は、あるものを放射する。その放射はその人の頭上を運行する惑星に一秒にも満たない速さで届き、瞬時に反射し、再び地球に戻ってきて、生きとし生けるものすべてに命を与える。

太陽は人の放射のすべてをも超える波長を反射することができる星のひとつ。光の勢力が発する放射だけが、人から宇宙へと飛んでいく。そしてあらゆるものに益となり恵みとなる放射だけが、再び宇宙から地球へと戻ってくる。

邪悪な感情の影響下にある人間からは、闇が放射される。この闇の放射は上昇できず、地中深く降下していく。そして地球の中心部に到達すると、はね返って、火山の噴火や地震や戦争となって地表に戻って来る。はね返ってくる闇の放射の究極の作用は、発した人間の内なる邪悪な感情をじかに強化することだ」

この世界のものはすべて、相互に影響を及ぼしあっています。「愛している」という想いを送ると、愛は届きます。特に自然は人間の愛に応えます。

今、子すずめが巣立ちの時で、庭によく来るのですが、細くて小さいのに、素早く虫をつかまえて食べている姿に感動しました。自分の命を精いっぱい生きています。私たちも、いろいろ考えすぎないで、自分を精いっぱい生きていけばいいんじゃないかな、と思います。

『アナスタシア』ウラジーミル・メグレ著   ナチュラルスピリット刊 参照