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「価値判断をやめる」

今年も、あと一か月となりました。ご無沙汰しておりますが、皆様、いかがお過ごしでしょうか?

この通信を書き始めてから、「どうして、苦しみはあるのか、そして、どうしたら、そういう中でも、自分らしく生きられるのか」をずっとテーマとしてきました。

私自身もそうですが、多くの方が、思っていらっしゃる人生最大の課題ではないかと思います。私なりに出した結論が、少しでも皆さんのお役に立って、ほんの少しでも、心が軽くなってくれたら、という思いでいつも、書いています。

苦しみの原因は外からやってきますが、苦しんでいるのは自分の 内側です。もし、苦しみを自分の中に取り込まないで、外に置いたままにできたら、苦しまないんじゃないか、と思いませんか?苦しいと判断しているのは、自分の頭と思考です。

では、「苦しい」と思わないでいることは可能でしょうか?どうしたら、そうできるのでしょうか?

それは、起きたことを、起きたままのこととして認識するのです。人間は起きたことに対して、自分にとって、良いことか悪いことか、まず価値判断をします。そして、悪いこと、つらいこと、都合の悪いこと、と判断した場合、ネガティブな感情に支配されます。

このネガティブな感情に支配されるのも、とてもつらいことです。たとえて言うなら、真冬に、冷たい池に落ちたような感じでしょうか。冷たいから、出ようともがけば、もがくほど足をとられて、上がれないものです。

私も、若いころは、ちょっとしたことでも、落ち込みました。でも、若いと落ち込んでも、回復が早くて、立ち直れるものです。しかし、今は、もう、 池に落ちたら、簡単には上がれません。だから、池に落ちないようにする方法を考えました。

自分の価値観を変えるんです。というか、価値判断をやめるんです。そもそも、良いことと悪いことを本当に自分は正しく判断できるのか、と問いました。「塞翁が馬」の話のように、人は起きた事象を、いいこととか、運がいいとか、いちいち判断しますが、そのたびに塞翁は、「いやいや、これが幸運の種となるかもしれない」「いやいや、これが災いの元となるかもしれない」と言って、他の人たちのように、起きる事柄で一喜一憂しませんでした。

私たちは、何もわからないのです。大げさに言えば、一秒後に起きることさえも。それなのに、本当に、今起きていることが、いいことか悪いことか判断できると思いますか?私は自分が間違っていたことに、気付きました。物事を自分の都合の良い方に引っ張ろうとするから、苦しいんです。

すべて、私に与えられた挑戦課題だ、と考えたらどうでしょう。どんなことが起きても、とにかく、この挑戦は受けるんです。失敗してもいいし、間違ってもいいし、時間がかかってもいい。でも、正面から、挑戦を受けるんです。そうすると、今までは、不運が不運を呼ぶようなことが多かったのですが、不運が幸運を連れてくることも増えました。何より、何事にも動じない自分になれました。

大きな観点から考えてみると、自分にとってつらい出来事がたくさんあったから、こういった問題について、深く洞察するようにもなり、その対処方法も考えた結果、幸福になっていたのです。

でも、その渦中にいた時は、毎日、挑戦課題がつきつけられ、「今度はこんなの用意したけど、やれる?」と言われているようでした。何度もへこたれそうになりましたが、気が付くと、クリアーできていたのが、今では奇跡のようでもあり、私の軌跡です。

「一人で来なさい」と言われた課題も多く、誰にも助けてもらえない、本当に自分が試されていると思うこともたくさんありました。だからこそ、目に見えない力があること、人智を超えた存在があること、そしてそういう存在に、いつも自分が愛され、導かれ、守られていることも肌で感じました。

「ありがとう」の魔法は、さらにパワーアップしています。「ありがとう」と感じることが増えるほど、ありがたいことが倍々と増えてきました。そうすると、前には、もしかしたら、気付いていなかっただけかもしれないことですが、小さなことでも助けてもらえることが、とても増えたんです。まるで、「小人の靴屋」みたいに、わたしの気付いていないところで、先回りして準備していてくれたようなことが、本当に起きるんです。

「人生をあるがままに受け入れて、味わい尽そう」と思います。そうすると、人生は極上のディナーになります。スパイスをふるのは、あなた。あなたが、あなたの人生というディナーに最高の味付けをするのです。