月別アーカイブ: 2016年11月

めぐりきて、めぐりゆく

秋も深まってまいりました。皆さま、お健やかにお過ごしですか?

私は、11月という月が、とても好きです。秋から冬へと季節が移っていくのを感じながら、すべての命の尊さを思うことのできる穏やかな日々です。

もうひとつには、誕生月のせいもあるでしょう。11月2日が誕生日でした。誕生日には、空の星が自分の生まれた日と同じところにめぐってくる、と聞いてから、その日の星を見る楽しみも増え、宇宙が一緒にお祝いをしてくれていることに気付きました。それまでの一年、「よくがんばったね。」と言ってあげる日でもあり、次の一年への出発の日でもあります。

今年は素敵なプレゼントをいただきました。助安由吉さんという方から、私の名前と私へのメッセージを力強い筆使いで、大きな色紙に書いてくださったものを送っていただきました。

助安さんとは、面識はありません。「心のうた」という冊子を無料で送ってくださっています。ご希望の方には送ってくださいますし、ネットでも読めるようになっていますので、良かったら、そちらをご覧になってください。

今回、その色紙に「名前は人生の宝」という言葉が添えられていました。一部、抜粋してご紹介します。

「名前は、本人にとって一生の宝ものです。名付けられたその日から、その名前を通して天からあなたに、絶えず光が送りこまれるようになるからです。

名前は自分でつけることができません。だからこそ、あなたの名前は、天から与えられた光の名前なのです。

できれば、毎日一度は、ご自分の名前に感謝をしましょう。そうすれば、その一瞬に光をいただき、この難しい人生を乗り切っていく力を得ることができます。

あなたの名前を、世界で一番愛してください。名前は神さまからいただいた人生の宝であり、光そのものなのですから・・・・。」

私は、自分の名前がずっと好きではありませんでした。「一江」って、地味ですよね。まったく可愛げはないし、響きもイマイチだし。コンプレックスのひとつでした。

でも、人生って不思議です。去年の今頃、人生のどん底にあった時、いつもの道を散歩していて、いつも見る川を見ていて、ふと気づいたんです。「私は川なんだ。川はどんなに汚されても自分の力で浄化しながら、流れていく。途中によどみがあっても、滝があっても、曲がりくねっていても、海に向かって流れ続けていく一本の川なんだ。しかも、小さな川じゃない。揚子江とか長江のような大きな河なんだ。きっとおじいちゃんはそういう思いでこの名前をつけてくれたんじゃないのかな」と。

その時はじめて自分の名前を愛おしいと思いました、私らしいって。

苦境に立たされなければ、自分の名前を愛することも知らずに生きていたかもしれません。苦しかった経験が、それまで、気づかなかったことに気づかせてくれ、愛することを教えてくれました。

今、苦しみの渦中にある方へ。きっと、いつか、すべて恵みであったと言える日が来ます。今は、苦しくて、そこに意味があるなどと到底思えないかもしれません。見つけられない意味を、「あるに違いない」と信じ続けた日々が私を育てたかもしれません。「すべては廻る環であり、底を打てば上がる」とわかっていても、一筋の光さえ見えない時もありました。信じていても、何度も「もう限界だ」という気持ちに襲われたものです。

そこから抜け出る日は、思いがけずやってきました。今は、何もかもが美しく、喜びです。今回の色紙をいただいたのも、偶然が重なった結果でした。でも、人生に偶然はないんです。起こるべくして起こっています。マイナスの経験としてとらえるか、自分の力にするかは、ひとえにあなたにかかっています。

暗闇を抜けた時、光はそれまで見ていた以上の明るさを見せることでしょう。光そのものは何ら変わっていません。あなたの中が変わっただけです。暗闇を通ってきた者だけが見ることのできる輝く光です。その光がいつか必ず、あなたを迎えてくれるから、もう少し、あと一歩、今日もすすんでください。私はいつも、あなたを応援しています。