咲かせたい花の種を蒔きましょう

皆さんは、「自分が現実を創造している」と思いますか?それとも、「現実に起きることが、自分の人生を左右している」と思いますか?

私はほとんどいつも一人で出かけます。私がしたいと思うことを同じようにしたい、と思ってくれる人を探しているうちに、自分の情熱の火が消えてしまうからです。誰かをあてにするのも嫌だし、期待するのも好きじゃないし、と思っているうちに一人が一番居心地良くなってしまいました。

たまに誰かを誘ったりすると、その人に都合の悪いことができて、行けなくなります。忙しい人です。特に心の中で、忙しい人です。楽しいことをするのは気が引けて、心から楽しいと思ってはいけない、と(心の底で)思っています。もし、これを本人に言ったら、たぶん怒ります。そんなわけないって。

もちろん、顕在意識でそんなこと思う人はいません。楽しむことはいいことに決まってるじゃないって言うでしょう。もちろんです。楽しむことはいいことです。でも何で、楽しもうとすると、それを阻止するような出来事が起こるのでしょうね?自分で足かせを作っているとしたら?

魂レベルまで降りて行けば、気付くことのないたくさんの封印した思いがはりついています。人類の歴史を見ても、過酷な時の方が多くて、今ほど快適に暮らせた時代はなかったように思います。過酷な時代を必死で生き抜いてくれば、具体的な思い出は忘れてしまっても、癒しきれない傷は残っていくでしょう。それが、積り重なって、今ここにいる私たち一人ひとりは存在しています。

だから、白紙の状態で生まれてくるのでもないんです。今生においても、幼少期から社会の通念や親や教師や周りの影響を多大に受けて、大人になるころには、本当の自分て何なのか、本当にしたいことは何なのか、わからなくなってしまっています。

「象さんの鎖」の話を知っていますか?象は小さいうちに鎖につながれると、大きくなってからも、その鎖を引きちぎることはしないそうです。やってみれば、簡単に引きちぎることはできるのに、できないと思いこんでいるから、やろうともしないのです。これは象だけの話ではありません。私たちも見えない鎖にずっと縛られています。

外で起きることが自分の人生を左右していると思っている限り、変えることはできません。主導権を握っているのは外の世界です。私は被害者です。

でも、勇気を出して、自分が現実を引き寄せ創造していると考えてみてください。いやなこと、つらいこと、不都合なことがたくさんあって、それを自分が創造しているなんてとても考えられませんか?

でもきっとどこかで、種をまいたのですよ。いつまいたかも忘れてしまうくらい前のことだったかもしれません。いつかまいた種が成長して、今その花を見ているのです。とげだらけの痛い花だったら、そういう花を咲かせる種をまいたのです。良い香りの美しい花だったら、そういう花を咲かせる種をまいたのです。

過去にまいた種が、どんな花を咲かせるかは見守るしかありませんが、今日まく種は、今日選んでまくことができます。この瞬間にも、あなたも私も新しい種をまいています。どんな花だったらいいですか?咲いてほしい花の種を選んでください。そして、大きな花を咲かせるためには、土を耕して肥料を施す必要もありますね。種は心という花壇に植えるのです。あなたの心をふかふかの土にしてください。

固定観念でカチカチになった土では芽を出すのも大変です。柔らかい心になって、まきたい種を探してきて、まいてください。今日、今、まいた種は必ず大きくなっていつか花を咲かせます。時間がかかっても、水やりを忘れずに大切に育ててくださいね。寒さにあてなければ咲かない花もありますよ。チューリップのように。

チューリップの花を咲かせたかったら、厳しい冬を越す覚悟も必要です。植えてからずっと暖かかったら、花を見ることはできません。チューリップの花を咲かせるのに、寒さが必要と知らずとも、神さまはちゃんと寒さを用意してくださいます。だから、寒くていやでも、冬を通りすぎなければならないのです。種をまいたら、花が咲くのを楽しみにしながらも、自然にゆだねる信頼が必要です。

喜びの花を咲かせる種だったらいいですね。愛の花を咲かせる種だったら素敵ですね。あなたの心の花壇があなたの大好きな花でいっぱいになるように願っています。心の花壇はきっと、あなたの目に見える世界にも同じ花壇を作っていくことでしょう。