『美しい人に ~愛はほほえみから~』

私は以前、中学校の英語の教師をしておりました。私が担任をしていた時の主任の先生が、先日電話をくれて、話をしているうちに、「渡辺和子さんも亡くなってしまったわねぇ」とおっしゃった時、初めて渡辺先生の訃報を知りました。

もうずいぶん前から、ニュースは見ない、新聞は読まない生活をしているもので、世間の動きを知りません。その主任の先生にも、見ない理由を聞かれたのですが、お肉を食べなくなった時と似ています。「食べたくなくなった」ように「見たくなくなった」ということです。

朝から、若いきれいなアナウンサーが怖い顔をして、暗いニュースを伝えているのをたまに目にすると、俯瞰している私でも、周波数が下がりそうになるので、これをマジに見ている人たちの周波数は落ちる一方だろうと思います。

渡辺和子先生のことで、一番に思いだすのは、教師5年目の秋に、英語教師の研究会が東京で開かれた際、記念講演を聞きに行った時のことです。仕事は多忙を極めていたのですが、どうしても渡辺先生のお話を聞きたくて、無理を言って一日、勉強に行かせてもらいました。

『美しい人に』という著書のあとがきで、作家の田中澄江さんが、はじめて渡辺先生にお会いした時、「美しい。その美しさをなんと表現しようか。」と書いておられました。私はそれを読んで以来、いつかきっと渡辺先生にお会いしたいと思っていたので、夢が叶ったわけです。

静かに笑みを絶やさず、話される言葉の一つひとつが真珠のきらめきのようでした。そこにおられるだけで、涙が出そうになったのを今でも思い出します。

「生徒の一人ひとりをどれだけ大切に思っているか、ひたすらに自分として育つことを願う心を持っているか」

「ありのままの傷だらけの不完全な自分を愛してくれる人がたった一人でもいてくれたら」

「自分をかけがえのない自分だと見てくれる人に出会って、初めてその人はありのままの自分を見ることを恐れなくなるのです。そして自分の負っている傷を一緒に包帯を巻いてくれる人がそこに一人いることによって、自分の傷を隠さないで認めることができる。同時に他人が傷を負っていたら薬をつけて、包帯を巻いてやれる、やさしさと強さを持った一人の人格を持った人に成長していくことができる。」

今も大切にとってあるその講演内容から抜粋しました。当時、これらの言葉にたいへん感銘を受けたのですが、今読み返すと、新たな気付きがありました。

ありのままの私を愛してくれる人、かけがえのない自分だとみてくれる人、その人が一人でもいたら・・・その人はどんな人にも絶対ひとりいるんです。それは自分自身です。世界中のすべての人が私を見捨てても、私だけはどんな時も私の味方です。私を助けてあげることができます。

本当にどん底までいくと、人には話せないことがたくさんありました。その時はじめて、自分というかけがえのない存在に出会ったのです。肉体的にも、精神的にもずたぼろになって、そんなずたぼろの自分といつも一緒にいてくれたのは自分だけだったこと、そんな惨めな私といつも一緒にいてくれた私自身への愛はゆるぎないものになりました。

渡辺先生がとても大切にされていたことの一つが「ほほえみ」です。その詩をご紹介して、天国の渡辺先生への感謝の気持ちに代えさせて頂きます。

『ほほえみは お金を払う必要のない安いものだが    相手にとって非常な価値を持つものだ     ほほえまれたものを豊かにしながら  ほほえんだ人は何も失わない    フラッシュのように瞬間的に消えるが   記憶には永久にとどまる

どんなにお金があっても   ほほえみなしには貧しく   いかに貧しくても   ほほえみの功徳によって富んでいる

家庭には平安を生み出し   社会では善意を増し   二人の友の間では友情の合言葉となる

疲れたものには休息に   失望するものには光となり   悲しむものには太陽   いろいろな心配に対しては   自然の解毒剤の役割を果たす

しかも買うことのできないもの    頼んで得られないもの    借りられもしない代わりに盗まれないもの    なぜなら自然に現れ   与えられるまで存在せず   値打ちもないからだ

もし   あなたが誰かに期待したほほえみが得られなかったら    不愉快になる代わりに   あなたの方からほほえみかけてごらんなさい    実際   ほほえみを忘れた人ほど   それを必要としている人はいないのだから 』

 

先週の土曜日、甘利山に行ってきました。