日別アーカイブ: 2017年8月19日

『存在とひとつに』

昨日、『存在とひとつに』(OSHO講話録 市民出版社刊) という本を読み終えました。OSHOの本は、いつも新しい発見があり、自分の翼を広げてくれるように感じます。「革新的なのに、愛に満ちている」と思いますが、革新的でなければ、愛に満ちることはできないのかもしれません。既存の固定観念は、私たち一人ひとりは、どれだけ無力で、可能性のないものであるかを、毎日、思い出させようとします。

そんな世界で生きていくのは、とても苦しいことです。世界が苦しいというよりも、そういう考え方で生きることが苦しいのです。今あるものを必死に守らなければならないと思えば、夢など見られません。人と違う生き方、先の見えない生き方を怖いと思っていたら、冒険はできません。冒険のない人生は、安定しているかもしれませんが、つまらないものでもあります。

「上善水の如し」という言葉があります。水は固体、液体、気体と周りに合わせて姿を変え、容れられた器に合わせて、円くも四角にもなります。相手を変えようとせず、相手に合わせて自分をいかようにも、変えていくのです。また、ひとつところに留まることもなく、川となれば流れ続けていきますので、腐敗することもありません。年齢を経るごとに、人生を退屈なもの、つまらないもの、と感じていく人が多いように思いますが、本来、生は歓びであり、いくつになっても学び続けることができます。

もう○○歳だからとか、こんな年になって学ぶ?という答えを返してくださる方がいますが、学ぶ=勉強(いやだけど、仕方なくやる)ということが幼少期から刷り込まれているからだと感じます。「いかに生きるか」は学校では教えてくれず、社会に出てからも、どうしたら、一社会人として、うまく生きていけるかは処世術とし学んでいきますが、それだけでは決して、心や魂は満たされることはありません。

自分で求めてはじめて出会うものであり、たくさんのそういった出会いの中から、自分にぴったりくるものを自分で見つけ出していきます。今日も、皆さんの発見のお手伝いになるようなOSHOの言葉を本の中から抜粋してみます。

「たとえばあなたが幸福を感じる。そして幸福と同化する。幸福と同化するとき、不幸は始まる。今やあなたはそれに執着し、その反対を恐れ、いつもそれが自分のもとに存在するように、と願う。それによってあなたは、苦の出現に必要なものすべてを生み出す。かくして苦が現れる。そして幸福に同化する人間は苦にもまた同化する。

気分は私をめぐって変わり続けるが、私は自分自身に中心を据えたままだ。どんな気分にも同化しない。どんな気分にも執着しない。何が起ころうとも、私はそれを見る。」

「生というものは全体だ。選択はできない。だから生全体を生きる。幸福な時があれば苦しい時もある。その両方を生きるのだ。さもないとリズムがなくなってしまう。リズムなしに生は存在しない。

音楽には、音符つまり音がある。そのあとには静寂つまり間がある。その「静かな間」と「音」があって、その対極があって、音楽が存在する。「私は音だけを選ぶ。間はいらない」というわけにはいかない。そうしたら音楽はなくなってしまう。単調なもの、死んだものとなってしまう。そうした間が、音に生命を与える。

もしあなたが、この対極性の全体と、生の動き方に気付けば、もはや選択することがなくなる。そしてもし選ばなければ、執着する必要がなくなる。苦悩が来ればその苦悩を楽しみ、幸福が来ればその幸福を楽しむ。

まったく何の苦労もなかったら、あなたは貧しくなる。苦悩というものはあなたに深みを与える。苦悩してこなかった人間はいつまでも表面的だ。いつも幸福や安楽の中にいて、苦悩したことのない人間には、陰影というものがない。彼にはハートがない。ハートというものは、苦悩を通じて作り出される。痛みを通じてあなたは進化する。

また苦悩ばかりで、何の幸福も知らない人間もまた、豊かではない。豊かさは対極から現れる。対極間を動けば動くほど、高く深く進化する。

無抵抗を自分のモットーにする。私は生に抵抗しない。生のもたらすものすべてを受け入れる。そしてそれを楽しむ。」

「子供たちは活気に満ち満ちているから、反復的なものは何もない。あなたは死んでいるから、すべてが反復的だ。この行為が退屈だとか、繰り返しや単調さや、長たらしい仕事が退屈だ、といったことは関係ない。本当のところは、あなたが退屈しているのだ。

だから仕事や行為を変えようとするより、自分の意識の質を変えることだ。自分自身に対し、もっと愛情深くなる。自分自身を愛していなければ、ほかの誰も愛せない。自分自身への愛をもって初めて、そのあふれるばかりの愛が他人に到達する。自分を深く愛していたら、その愛は自分のすることすべてにあふれ出す。何もしていない時でさえ、あふれ出す。それは絶えずあふれ出し、自分の〈存在〉そのものとなる。そうすれば退屈なものは何もなくなる。」