体験しなければわからない

ご無沙汰しております。約一か月ぶりとなりました。この一か月は事務的にやるべきことが多かったせいもあるのですが、波風のたつことがなかったんですよね。私はハートのままに生きていて、常に愛を感じているから、すべてのことが流れていて、ひっかかるところがなかったんです。すると、自分が発信したいこともすべて出し尽くした感じになって、「ひだまり」も 終わりだと感じていました。

今日は、火をつけてくれる人が来ました。三次元真っ只中を生きている人です。久しぶりに、「全く困るよねえ」とか、「だから、あの時、こうしておけば良かったのに」という言葉を聞きました。

私のどん底の話を知っている人です。けっこう、きわどいところまで話したつもりですが、忘れてしまったのでしょうね。あれに比べれば、今は天国です。当時、本当に追い詰められていた私が思ったことは「とりあえず、みんな生きていれば、それでいいってことにしよう。生きてさえいれば、きっと笑える日もくるはずだから」ということです。

あの体験があるから、「すべては自分の考え方次第」で、困ったことのように見えることの中に、実は宝ものがあるんだ、ということをいつも思います。

体験者以外は結局は他人事(ひとごと)なんです。だから、追い詰められることも無い代わりに、真に学ぶこともないのです。魂の闇夜を通り抜ける間は、本当に苦しいけれど、闇を抜けるから、その分の光も知るのです。

そして、それをちゃんとハートで受け止めて、腐らないで、わかってくれる人にしか試練は与えられないようになっています。そしてその試練をくぐり抜けた時には、天と自分との間に、完全なる信頼関係ができています。何があっても、起きることすべてを受け止められる素地が出来上がっています。

だから、苦しい体験がきたら、感謝してください。私も過去にまいた種を今、せっせと刈り取っています。ハートの声を完全に無視して、ほぼ45年間も生きてきましたから、もう本当に大変です。「バカだった」と思います。

「私さえ我慢すれば、みんなが幸せになる」とずっと信じ続けて生きてきて、みんなが不幸になって、はじめて気づきました。私は誰のことも幸せにすることができなかった、と。つまり、誰かを幸せにするなどという考え自体が思い上がりだったのです。自分一人幸せにできない人間が、どうして誰かを幸せになどできるでしょうか。「そんな言葉は自分を幸せにしてから言え!!」と、自分に言ってやりたいです。

だから、みんなに言いたい。「やりたいことをやって!」「自分が幸せになれることを最優先して!」一人ひとりは全員、自分で幸せになれる力を持ってます。誰かに幸せにしてもらう必要などどこにもないのです。

泣いて泣いて泣いたら、ちゃんと立ち上がります。立ち上がれないのは泣いてないからです。被害者の自分がまだ好きだから、被害者の立場にいるんです。そう思って突き放していいんです。それはその人の選択なんです。

こんなに生きてきて、今更思うのは「ハートのままに生きてこられたら、どんな人生になっていたかな?」ということです。こんなめっちゃくちゃな刈り取り人生の中でしか出会えなかった愛もあるけれど、そうでない人生も生きてみたかった気もします。やっぱり、また生まれ変わってくるのかもしれません。

今は、カルマをひとつでも多く刈り取って、次はハートが歌うように生きてみたいです。みんなが自分らしく、自分のすべてを出しても、笑顔でいられるような世界に生まれてきたい。だから、今、その種もまいているんです。あと何年、何十年生きるかわからないけれど、今までの何倍も何十倍も、愛をこめて生きよう。今日も、今も、この瞬間も。そう思っています。