日別アーカイブ: 2017年12月13日

母への愛

寒くなってきました。寒くなって一つうれしいことがあります。それは、おしゃれなコートが着られること。襟にファーがついているものや、厚手のトラッド系のコートが好きなのですが、暖かい冬はほとんど着る機会もありません。だから、私は最近、ちょっとご機嫌です。

他にも幸せなことがありました。母に対して私が本当に思っていたことに気づいたことと、それを母に伝えられたことです。

中学三年生の夏休み前にあった出来事は三者懇談です。先生が体育会系の部活の顧問で、歯に衣着せぬ物言いをする人でした。

勉強はいつも、中間あたりをうろうろし、テスト前しか勉強したこともなく、英語の教師になったのに、中学三年当時、三単現のSもわからないくらい、英語は苦手でした。

そして、先生は「高校行ってからも、いつも中間をうろうろしているくらいなら、その高校へ行ったって仕方ないだろ。もうひとつ下の高校へ行った方がいいんじゃないか」というようなことを言ったと思います。

それでも、いつも適当に生きていた私は、先生の言葉で動じるようなことはありませんでした。本当にショックだったのは、家に帰ってから母に大泣きされたことです。当時、親戚の中にも問題が勃発していて、母は、精神的にも追い詰められていたところへ、仕事が忙しく放っておいた娘が「こんなバカだったとは・・・」と、もう立ち直れないくらいの衝撃だったようです。

そして、私はそれをもろに受けてしまったんです。私は自分のエネルギーフィールドを守ることもできず、外からの襲撃に備えることもできず、深く落ち込みました。何より、母をこんなに泣かせて「私はなんて悪い娘なんだろう」と、一瞬にして罪悪感の塊となりました。

次の日から勉強を始めました。サボっていた分、取り返すのは並大抵のことではなく、頭を机に打ち付けながら、泣きながら問題と格闘しました。もちろん、それだけやれば、成績は十番以内になるくらい上がりました。三単現のSがわかった時の喜びは、太陽が光り輝いたようでした。「勉強ができるって、楽しい!」とも思ったものです。

でも、高校へ行ってから、理数が苦手で、私立にしぼることになるのですが、私は弟が二人いて、父はサラリーマンで、家計のことを考えると、親に申し訳なくて、「死ぬほど勉強するから、私立に行かせてください」と頼みました。

そして死ぬほど勉強しました。睡眠時間は四時間。口の中には常時、口内炎がいくつも出ていました。若かったからできたことです。でもいつの間にか、自分の一番したいことは、「志望大学に行くこと」より、「眠るか死にたい」となっていました。精神的に、少しおかしくなっていたのかもしれません。

こんな状態で夢がかなうわけありません。そして落ちました。やっと地獄から解放されましたが、虚無感はハンパなく、自分の人生の羅針盤などいつの間にか、どこかにやってしまって、大海原を漂流する人生が始まったわけです。

ずっと、自分じゃありませんでした。つい最近までです。二度目のどん底は、私に羅針盤を取り戻させる旅となりました。恵みでした。宇宙の愛です。

母があんなに泣かなかったら、私もあんなに苦しまなかったのに・・・と思っていました。でも気づいたんです。

私はお母さんが大好きだった。だから、ただ、お母さんに喜んでほしくて勉強したんだと。先生にあんなに言われて泣いているお母さんを幸せにしてあげたかった。おかあさんの笑顔が見たかった。そのためだけに勉強したんだとわかりました。

この世界で成功しなくちゃ価値のない人間だと思ったのは、よこしまな気持ちからではなく、そうすればお母さんが喜んでくれる、幸せになってくれる、と子供ながらに思ったから、だったんです。

そして、「ひだまり読んだよ」と母が先日、言ったので、上記の言葉をそのまま伝えました。

「そうだったんだ」と言っていました。私は、長年の胸のつかえがとれました。母に対して怒っていると思っていたけれど、愛していたんだ、と自分の気持ちをちゃんと見てあげられて、気持ちが軽くなりました。

子供って、親が思っているより、ずっと親のことを思っています。幼いから、それを言葉にしたり、態度に現わしたりできないから、大人は気づかないけれど、本当に愛しています。

人類の集合意識の一つとして、固定観念にとらわれた親が子供を育て、その子供たちも苦しむ、という連鎖が最初からずっと続いてきているように思います。

皆さんにも大なり小なり、親との間には確執や癒されていない傷があると思います。その傷が深いほど、封印されていて、簡単には意識に上がってきません。そこを浄化していくことは、人類全体の波動を上げていくことにつながっています。

私は、自分を受け入れ、愛することができて、はじめて、自分の痛みを客観視し、自分で温めてほぐしてあげられるようになりました。

同時に、相手の痛みにも寄り添うことができるようになりました。

だから、自分を愛してあげれば、自分が幸せだと感じることをしていれば、いつか、傷の方が自分から上がってきて、あなたに癒される日が来るのではないか、と思います。

すべては愛であり、愛の反対の姿をしていても、根底は愛なんだと思います。宇宙がいつもこうしてあって、私もあなたも、こうしてあるのは宇宙が愛だからです。あせらなくても、きっと、すべては、うまくいくようになっている、そう、思います。