日別アーカイブ: 2018年1月27日

感じるものを選んでいる

『聖なるマトリックス』中盤です。

1972年、米国の人口一万人以上の24の都市で、人口の1% (100人) がある実験に参加しました。参加者100人が特別な瞑想法を用いて、自分の心の中に平和をイメージし、その平和という経験を周りの世界にも反映させるというものです。この瞑想法をはじめた、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに敬意を表して「マハリシ効果」と呼ばれています。

これと同様の研究から、「中東国際平和プロジェクト」が誕生しました。1980年代初頭のイスラエル・レバノン紛争のさなかに行われました。

瞑想のトレーニングを受けた人たちが、ある月の決まった期間、毎日同じ時刻に、戦禍で荒廃した中東のある地域に集まり、瞑想しました。彼らが心に平和を創造した瞬間、テロ攻撃、犯罪、病院の救急救命室への搬送件数、交通事故が減りました。しかし、瞑想をやめるとこれらの件数はまた増え始めました。

一度に最低何人の人が瞑想をする必要があるか・・・人口の1%の平方根です。これは効果が現れ始めるのに必要な最低限の人数で、参加者が多いほど効果がありました。

地球の全人口を考えると(2018年 1月27日、9:45現在)

74億4998万7540人 × 0.01の平方根(電卓の√ キーを押す) = 約 8631人

世界に意識変化を「起こす」ために必要最低人数は 8631人ということです。

全体にとって個がいかに大切か、ということです。個が本当に心から「世界は平和である」と信じ切ることができれば、その人数が9千人弱いれば、今もうこの瞬間に世界は平和なのです。

この話から読み解くことのできるもうひとつの重要な点は、瞑想している時は、平和が実現しても、やめると、攻撃や犯罪が増えた、という点です。

もし、いつでも平和であってほしいなら、一日24時間、祈り続けなくてはなりません。不可能です。では、平和の実現は不可能なのでしょうか・・・?

いいえ、可能です。完璧な方法があります。それは「あなたが平和そのものになってしまえばよい」のです。これは平和だけでなく、あなたの好きな世界で考えてみてください。愛のあふれた世界、調和のとれた世界、美しさに満ちた世界、ワクワクする世界、幸福いっぱいの世界・・・。

あなたがそうなればよいのです。無理ですか?最初から全部は無理かもしれません。でも、今日、今、この瞬間に自分はそれを選び取るのだと決心することはできます。決心することによって、その方向に向かって動き始めます。

具体的に、私がおすすめするのは、意識的に生きてみる、ということです。めんどうな、いやな仕事があるとします。でもどうしてもしなければならない時、どんなふうに考えているでしょう。「めんどう」って決めているのは自分のマインドです。もしかしたら工夫次第で、楽しくなるかもしれないし、「楽しいなぁ」と思ってやったら、予想以上に早くすすんで、おいしいお茶を飲む時間ができるかもしれません。そしたら、ちょっと幸せですよね。

日常の一つひとつを当たり前だと思わないで、気づく習慣をもてるといいですね。私は、一日に10個づつ、感謝することをノートに書いていく、ということをしていた時期があって、ノート3冊くらい、書きました。できる限り、今まで書いたことと違うことを書いていくのです。はじめは「お父さん、ありがとう」とか、「お母さん、ありがとう」とか、でした。それでも、これを言葉にして、書いてみると、不思議な感動がありました。いつのまにか、一日中、全部がほとんど感謝になっていて、「ありがとう」を口にする回数も圧倒的に増えていました。

こうなってくると、何か願い事をしなくても、すべてが完璧に動いていくようになってきます。時間に間に合う、忙しい時ほど信号が青になる、行くべき場所が探さなくても見つかった、など。

クリニックのとなりに大きなケヤキの木があって、秋になると、落ち葉掃きは大変な作業でした。それでも私は、その大きな木がとても好きでした。「大変ですね」と声をかけてくださった方も多かったのですが、「秋になって、木が葉を落とすのは当然のことで、ただ、片づければいいんだ」と思っていました。

ある日、風邪をひいて熱もあり、その日だけは、葉っぱを掃きにいくのがめんどうでした。それでも、と思って、ドアを開けた時、葉っぱが一か所にまとまっていました。「誰か、まとめておいてくれたんだろうか・・・?」と目を疑いましたが、それは私の仕事で誰かがしてくれるわけもありません。まとめてくれていたのは風です。その日は強い風が吹いていて、吹きだまりのように一か所に葉っぱが集められていました。

「まるで、小人の靴屋みたいだな」と思いました。いつも感謝して生きていると、困った時には必ず助けてもらえます。

その後何年かして、木は切り倒されました。私は今でも、その木のことを思います。いつか、いなくなる日がくるかもしれない、神様がそう、お決めになる日もくるだろう、とわかっていたのかもしれません。だから、夏の青々と風になびく姿を愛で、秋の落ち葉掃きも喜んでしていたのかもしれません。

祈る時を持つより、特別に願い事をするより、自分がなりたい自分そのものを今、経験する、と考えてみてください。愛ある世界・・・と思うなら、今愛を体験するのです。花を見て「美しい」と感じるのは、あなたの心に愛があるからです。花を見ても何も感じない人もいるのです。

マトリックスの定義を思い出してください。「この宇宙にあるすべてのものはつながっている」。愛は愛を伝えるのです。マトリックスが目に見えずとも、伝えているのです。