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『NO LIMIT』

登山家の栗城 史多(くりき のぶかず)さんが、亡くなったことを今日知りました。ひだまりをまだ、院内だけで出していた平成22年11月号で栗城くんの『NO  LIMIT ~自分を超える方法』という本から、抜粋して特集したことがあります。

栗城くんのチャレンジは無謀であるとする人や、嘘つきと呼ぶ人もいて、人の評価は様々です。

私はこの本を読んで、限界にチャレンジしている人だからこその胸を打つ言葉をたくさんもらいました。

今、この本を読み返してみても、やっぱり、素直にいいなあ、と思うのです。そんな言葉を今日は、いくつか、ご紹介して、栗城くんへの、感謝の気持ちに代えさせていただきます。

 

山登りはとてつもなく苦しい。でも苦しければ、苦しいほど口から出る言葉がある。「ありがとう」

本当につらい時がある。でもその苦しみからいつも逃げているわけにはいかない。かといって立ち向かったとしても、勝ち目がないかもしれない。そんな時は苦しみに対して「ありがとう」

 

高い山は酸素が少ない。吸えない感じはないが、吸っても吸ってもからだに力が入らない。一体何回吸えば、一回分になるんだろうと焦る時もあった。でも本当は、吸おう吸おうとするから駄目なのだ。

酸素が少ない時は、吐けばいい。吐けば入ってくる。自分が出そうとしないと入ってこない。欲しい、欲しいってやってると入ってこない。何か欲しい時は、自分から吐くこと。そして与えること。自分が吐き与えることによって、酸素も喜びも入ってくる。

 

山登りで一番危険なのは執着心だ。登り切れば幸せなのは確実だが、頂上に行けるかどうかは「山の神様におまかせします」 強い思いには必ず限界がやってくる。大切なのは登っても、登れなくても感謝すること。

 

一番好きな桜は、満開の桜がヒラヒラと、風に揺られて散っていくとき。もし、桜が散らなかったら、こんなに美しいとは思わないだろう。命も同じ。終わりがあるからこそ、「今」があることに感謝し、命を燃やして生きようと思える。

高校の時、僕は母を亡くした。体中にがんが転移していく中、普通だったら「つらい」とか「痛い」とか弱音を吐いてもいいのに、母はまったくそういうことを言わなかった。

かわりに聞こえるか聞こえないかの声で「ありがとう」と口を動かした。母の最期を見届けた瞬間、僕は何のために生きるかを考えはじめた。人間というのは限りがある。そして、終わりが近づくとわかっていても、心を折らずに、そうやって生きていく人もいる。その姿を見て、自分も一生懸命生きなければと思った。最期に「ありがとう」って言って、この世を去れる人間になりたい。

最期に感謝できるような、人生を送れるか。長く生きられたかどうかは関係ない。

大切なのはいま、どう生きるかだ。