見えない山を登っているすべての人へ

今、また山を登っています。見えない山です。この前フローが起きた時は、短期決戦で、今度の山は時間をかけてじっくり登る山です。

この山に登らなければならないとわかった時、頂上ははるか雲の上でした。登れるのか予想もつかない未知の高い山。今までで一番過酷なミッション。いつものように一人で登ります。

途中で助けてくれる人や物や運を引き寄せられるかは、すべて自分の力量次第。だからどんな時も、心がけだけはきれいに、宇宙を信じて祈りながら、登り始めました。

手探りですすむところもあったし、霧が濃くて前が全然見えないところもありました。天候が良くて、自分の調子もいい時は、ミラクルが起こったように先にすすむことができたこともありました。

今、8合目あたりです。足踏みしています。風が強く、Goサインが出ません。そこで、テントに入って、今の心境を綴ってみることにしました。

がむしゃらにすすんで行ける時はむしろ楽なんですよね。待たなければいけない時、「待つ」ことは信じることだとわかります。

自分が問われます。「信じて待てるか」。宇宙はもっと良いものを用意してくれている。もっと良い時を用意してくれている。何も起こっていない時に、「これからきっといいことが起こる」と信じられるかと宇宙に訊(き)かれています。

振り返ってみると、登る山は、徐々にレベルアップしていました。2年前、この山を登るよう言われても、登れなかったと思うし、宇宙もそんな無謀なことはしませんでした。登れるだけの力がついたのです。だから、どんなに過酷でもきっと登れるはずなのです。

そして一番大事なことは、心のありようです。やっつけ仕事のように、ただ単に頂上にたどりつけばいいんじゃない。一歩一歩どんな気持ちで、どんな感情で登っているか。心の中に不平不満をいっぱいためこみながら、いやいや登るのではなく、苦しい時にも、高山植物の美しさを堪能したり、汗が心地よく感じるような爽やかな風を楽しんだり、きれいな空気を胸いっぱい吸いこんだり、ちょっと視線を上にあげてみたら、カモシカがいたりして・・・。

今、「浄化」が一つのキーワードになっています。この前の台風もそうでした。一晩中、大風が吹いていました。翌朝、いつもの公園に行くと、大きな松の木が何本も根こそぎ掘り起こされ、倒れていました。

降り続く雨で地盤も緩んでいたせいでしょうね。この前、ひだまりで書いたことを目の当たりにして、人間も同じだと感じました。

この浄化の時、ただ強いものが残るわけではありません。「たおやか」な強さをもつものです。美しくしなやかでやさしい女性性を持つものです。人生の風雪にさらされながら身につけてきた真の強さです。

私は宇宙が今、そういう強さをみんなに持ってもらいたい、と願っているのを感じます。簡単に身につけられるものではありません。努力は必要です。でも、宇宙が成長し続けている限り、私たち人間も同じように、努力し続けていく存在なのです。現状維持は退化しているのと同じこと。昨日より一歩でも二歩でも先にすすんでいくべき存在なのです。

それが宇宙と共に生きるということであり、宇宙の流れに乗って生きることです。

頂上にたどり着いた時、私は一体どんな景色を見るのでしょう。今は少し休んで、Goサインが出たら、また登り始めます。

このタイトルは栗城くんの本の最初に書いてあった言葉。私はこの言葉に出会った時も山を登っていました。今より低い山だったけれど、それでもすごくしんどかった。だから、この言葉にどれほど勇気づけられたかしれません。

皆さんの人生の山登りも、登って良かったと思えるものであるよう、祈っています。そして、今、登っている皆さんへ。私も一緒に登っています。見えなくてもつながっているから。いつも励ましているから。一緒に登っていこうね。