価値判断を手放す

しばらく前からエクスカリバーのことがとても気になって調べておりました。大天使ミカエルの剣がエクスカリバー、アーサー王の剣もエクスカリバー。そして、導かれた本があります。

『時を超える聖伝説』( ボブ・フィックス著 三雅 発行 )

ボブ・フィックスさんはフルフィルメント瞑想で名前は知っておりましたが、チャネラーということは知りませんでした。しかも、この本はアーサー王に仕えたと言われる魔法使いマーリンをチャネリングして書かれたものです。まだ、宇宙もなかったところから、話ははじまります。壮大な物語です。知らないことのはずなのに、知っているという不思議な感覚の中、胸にせまってくるものを感じました。

今日まで読んだところの中に、とても腑に落ちたことがあったので、それをお伝えしたいと思います。

まず、「なぜ、価値判断をすると幸せから遠ざかるのか」ということです。

「生命は永遠であり、破壊や死は存在しない。生命はすべてを抱合する。だからこそ、神の反応は常に、『それは良い』と『それはとても良い』なのだ。
神の最初の反応は、常に支持するというもの。だからあなた方の最初の反応も支持します、というものであるべきなのだ」

イブが「善悪のリンゴの実」を食べた時から、人類は神から遠ざかっていきました。善悪のリンゴの実とは価値判断をする心のことです。

わかりやすいたとえ話がありました。

「自説に固執するようになった瞬間、あなた方はパワーを持った者たちの手に落ちる。彼らの見解の中に吸い込まれ、自己の真実から、より高次の目的を満たすことから切り離されることになるだろう。
想像してみてほしい。家に帰ろうと歩いていると、まだ帰ってほしくないと思っている誰かが道端に立って、意見を大声で叫んでいる。あなたはその意見に同意できないと感じる。そこで立ち止まって、そんなことはないと反論するかもしれない。するとあなたはその議論に巻き込まれながらどんどん家から離れたところに連れていかれてしまう。そうしているうちに、自分の家にいるのはどんな感じだったのかを忘れるようになってしまう。そして、人生なんてこんなものだ、と思い始めるのだ。議論、不快さ、不満足といったものがあるのが人生なんだと。」

私は、この前、目の前にたちはだかる高い山を目にして、「本当にこの山、登れるんだろうか。」と思いました。でも、登れたんですよね。信じて一歩一歩登ったら、頂上についていたんです。いろんな課題がありました。「もうだめだ」と思う機会も何度もあったのに、助けてもらえたんです。自分の力というより、目に見えない力が働いていました。そして、思ったことは、私に一番求められていたのは、どんなに自信がなくても、どんなに不安でも、「はい、やってみます。」と答えることだったのだと。

そこが一番の難関なのです。「信じてゆだねる」。目に見えないもの、結果の分からないもの、途上でどれほどの困難が待っていても、やります、という勇気。
それは全面的に、神を信じる、ということで、私たち人類が一番とりもどさなければならないものなのです。

自分で価値判断をすることによって、神の調和のエネルギーから離れていくのです。「これはいいね」とか「これは良くないね」と仕訳をする仕組みは神にはないのです。神に無いことをしていく時、宇宙の流れに逆行することになり、調和と愛だけの世界から切り離されます。一人ぼっちになります。だから、自分と同じように一人ぼっちの者同士がくっついて、愚痴を言って慰めあっていますが、どこにも平安を見出すことはできません。

神にも宇宙にも愛のエネルギーしかありません。生きていく間に、誰かを非難したり責めたいと感じることもあるかもしれません。そんな時は、どうか覚えておいてください。

「愛は悪を溶解する唯一のパワー。悪が留まる場所を持たなくなる時、そして愛された時、悪は変化し癒される。これ以外にあなた方の敵を一掃する術はない。愛する以外の行動はすべて分裂と破壊につながる」

ハートで生きる、それが答えだと思います。そのために瞑想は実践的一歩だと思います。幸せとは何か、どんな感じか見つけていけると思います。自分の内側に入って、本当の自分と対話するとき、神と対話しているのだと思います。