「日々雑感」カテゴリーアーカイブ

映画『かぐや姫の物語』を観て

私は行ってみたかった。あそこで、「生きる」ということをしてみたかった。自分の足で大地を蹴って走り回り、木に登ったり、水を手ですくって飲んだり、風のわたる木陰の元で眠り、生きる喜びを感じたかった。

そのことにあまりにも憧れたために、それが具現化し、人間になった。子どもの頃、幸せと気づくこともなく、暗くなるまで川原や原っぱで遊んでいた。あの頃が無性に懐かしく、自然の中にいるだけでただ癒されるのは、私の魂の願いがそこにいる時には、ただ暖かく地球に受け容れられているのを、感じられるからなのだろう。

子どもの頃のままで生きていけたのなら、私は幸せになれたのかもしれない。でもそれは許されなかった。人々は幻想があまりにも深く、目覚めることができない。肉体を持つことによって、恐怖が生まれた。食べるために、闘わなくてはならず、身を守るために、人と争い、分離の意識はどんどん拡大していく。

その世界で生まれ変わる度、カルマを作り、また次の人生でそのカルマを返さなくてはならず、またカルマが生まれ、またその返済に追われる。

でももし、ここが夢、幻だとひとたび気づくことができたら、天の羽衣を身にまとい、地上の残渣のすべてを洗い流して、源に還ることができるのかもしれない。

どんなに願っても、ポジティブに生きても、願いは叶わない。叶わない仕組みになっている。なぜなら、私はこの夢から覚めなければならないから。ここが自分の本当の居場所ではないことに気づかなければならないから。

この世界に絶望しなければその深い眠りから覚めることはできず、永遠に夢の中で輪廻転生を繰り返していく。

私は帰りたい。帰ろうと思う。ここでの暮らしを懐かしく思って涙することもあるかもしれないけれど、幻想なのだ。泣いたり笑ったり、怒ったり、苦しんだ経験を大切に胸にしまって帰ろう、故郷へ。

 

映画『かぐや姫の物語』を見ました。公開当初、母が見たいと言っておりました。新聞を見ることの無い私が、昨日は何となくテレビ欄を手にとっており、テレビでこの映画が放送されることを知りました。

『かぐや姫の物語』ははすべての人の物語です。そして、翁も嫗も登場人物はすべて私たちすべてです。どちらの役もやってきました。地上に生まれてから何度も生まれ変わって、何度もたくさんの間違いを繰り返しました。ただ、間違いと本人は気づいていないだけです。

翁は姫を心から愛し、大切に思っていました。それは真実です。でも、姫は翁のすることで幸せを感じたことはなかった。でも翁はそれに気づくことができなかった。自分のしていることこそが、姫を幸せにするのだという固定観念を疑うことがなかった。彼がどこかで、立ち止まって、「これでいいのだろうか」と考えることをしていたら、姫をあそこまで追い込むことはなかったかもしれません。

でも人間は、人類は、立ち止まることができないのです。そして、万人が望むものこそが幸せなのだと、信じ込まされています。周りの人も、メディアも、より多くを持ち、より豊かでより華やかな生活こそが幸せなのだと、日々人々を駆り立てています。

そして競争し、その競争に勝ったものだけが優れている、という分離分断の思いが更に更にこの幻想と闇を深くしています。でもほとんどの人は気づきません。これもまた、気づくことがないような仕組みになっています。映画『マトリックス』も良かったらご覧になってください。

私は今は『マトリックス』の世界が真実だと感じられるようになりました。どんどん真実を見せられています。どんどんこの世界から引き離されています。

私と同じ思いをした人は共感してくださると思いますが、たぶんごくわずかでしょう。

『シルバーバーチの霊訓』はじめ、霊界通信の中で高級霊が話していたことで共通していたことの一つに「この世はあの世への準備でしかない」ということがありました。

生身の肉体を持ち、生の体験をするからこそ、魂は磨かれ、より光り輝くものとなっていく。地上にいる時こそ、魂を磨く時である。

でもそれは、悲しい、苦しい、痛い、不幸などを経験するという意味でもあります。私はたくさん泣きました。いつも今も「愛とは何か」の試練にさらされています。

天の羽衣を身にまとえば(あの世に還れば)、このように心ざわつくこともなく、いつも穏やかな心持ちで過ごせることでしょう。この世は喜びと悲しみの両方を体験する場所です。比べるものがあるから、比べることができ、そのものの価値を自分で見出すことができます。

きっと、天界に還れば、今の苦しみや悲しみも、俯瞰するように、本を読むように見ることもできるのでしょうが、ここにいる限り、ただ信じて生きていくだけです。

高畑監督がこの映画の中で伝えたかったことはきっともっとたくさんあって、もっと深く考えておられたことと思いますが、私はこの映画を見ることができて、とても幸せだと思いました。高畑監督に心からの愛と感謝を込めて、ご冥福をお祈りいたします。

今年の野草酵素仕上がりました

ご無沙汰しております。お元気ですか?今日、今年の春の野草酵素が仕上がり、早速、試飲してみました。去年のものより美味しく感じられました。去年、野草酵素を作ってから、夏には、梅で、秋には根菜類中心の有機野菜で作りました。

何より、一番喜んでいたのは母で、体調がずっと優れなかったのですが、とても元気になったようです。私は普段から元気なもので、飲んですごく良かった、という実感もありませんでしたが、身体の弱っている人には、効果バツグンのようです。

自分の手の常在菌で発酵させていくので、自分だけのオリジナル酵素飲料ができあがります。私の手の菌で発酵させていくので、積極的に人に飲んで!とすすめられるものでもないのですが・・・。でも、ぬかみそも同じ作り方ですからね。

去年は、野草摘みが後半の部だったので、増冨温泉近くまでいきましたが、今年は5月5日に採集したので、オオムラサキセンター下の草むらで行いました。

仕込みが行われたのは、会の主催者である松永さんが、前にペンションをなさっていたところで、今は「あしぇっと」さんというレストランになっているところです。標高1000m、八ヶ岳南麓の森の中にある創作フレンチのレストランです。

私と母で参加したのですが、都会からいらした方が、野草をとったり、きざんだりするのは初めての様子で、私の刻んだ野草を見て、「そういう仕事の方ですか?」と感心しておられましたが、去年も同じことをしているので、経験がものをいったのでしょう。

お昼をあしぇっとさんでいただきながら、酵素の話やら、健康情報を松永さんからたくさん、お聞きしました。松永さんの声はヒーリングヴォイスでとても聞きやすいです。

母が言うには、八ヶ岳は増冨温泉とまた、空気感が違っていて、洗練されているそうです。増冨もとってもいいところですが、八ヶ岳南麓も素晴らしいところです。野草を夢中になって取ること自体がとても癒されます。自然の中にまるごと入って、子どもの頃にタイムスリップしたようです。

5月19日の土曜日が今季最終ですが、良かったら問い合わせてみてください。身体の弱っている方、体調が優れない方、何か健康に良いものを探していらっしゃる方にはおすすめです。

山梨手作り酵素の会           http://ideanote.jp

Tel. 080-5435-2785

 

Only love is real.~愛こそが真実~

ブライアン  ワイス博士をご存知ですか? 前世療法の先駆者であり、世界的権威の精神科医です。

ワイス博士のワークショップが この前の土曜日、日曜日と東京でありました。私がワイス博士のことを知ったきっかけは、もう何年も前に読んだ『魂の伴侶』という本です。博士の診察室で、博士の患者だった見ず知らずのある男女が、ソウルメイトであり、運命の中で、出会い結ばれていく実話です。

ソウルメイトというカテゴリーで見ると、自分と人生の中で関わっていく人はソウルメイトであり、大きな見方をすれば、今地球上にいるすべての人はソウルメイトであるということもできます。

宇宙は陰陽が統合されている状態であり、私たち人間はもとはひとつの魂が男性と女性に別れ、それぞれの学びを済ませてから統合(融合)する、と言われています。すべての人に自分の魂のかたわれ(ツインソウル、ツインフレーム、ツインレイなどと呼ばれています)がいて、心の奥底でその人を探し続けています。いつも、何か欠けた気がするのは、その魂と合一することを求めているからだとも言われます。

出会えるためにも、融合するためにも求められているのは、自己の完成です。すべての逆境、ネガティブな体験を愛を持って乗り越え、自分自身が愛そのものになるまで、試練にさらされます。愛そのものの宇宙を人間の身体にありながら、体現していくことを目標に私たちは生きています。それが宇宙の望みです。

ワークショップで心に残ったことをまとめてみます。

「すべての人間がパーフェクトで美しいダイアモンドを持っている。100の側面を持っていてそのすべての側面を輝かせるために、ダイアモンドを磨き続けている。あと5つの側面を磨けばいい人と、あと95の側面を磨く必要のある人が、地上で一緒に存在している。

地球は小1から高3までが一緒に学んでいる学校のようなものだ。光明を得た魂と暴力的な魂が同時期に存在する。どちらがいいわけでも、すすんでいるから優れているわけでもなく、経験の違いである。遅かれ早かれ、すべての魂は高校の卒業試験を迎えることになるのだ。

そこにはいつも「愛」というたった一つのエネルギーしかない。それが個別に分かれていく。自分が人より優れていると思うのは、製氷機から取り出した氷を水に浮かべて、一つの氷が「あれより優れている」と思うようなものだ。

氷に「愛」という熱を加えると、水になり、さらに振動が高まれば、水蒸気へともっと振動を上げていくと水素、酸素になり、最後は素粒子となっていく。

水というのはスピリットの象徴であり、水蒸気は私たちの理解のできない、言葉で表現できない存在であり、死んで魂になると行く世界でもある。

なぜ、その高次の世界にいないで生まれてくるのかといったら、肉体を持ち、困難がある中で、進化し成長することができるからである。

困難もあるが、地球は美しさに満ちている。美しい花、美しい庭・・・。大切なことは、一日一日を喜びをもって生きることである。

私たちが何度も生まれ変わるのは、すべてのものを味わって学ばなければならないからである。豊かだったことも貧しかったこともある。白人だったこともアジア人だったこともある。男性だったことも女性だったこともある。様々な宗教も経験してきている。すべての偏見がなくなって、私たちは同じだということを学ぶためである。

カルマ、因果応報、「まいた種は刈り取る」「親のつけが何世代かあとの子孫に巡って来る」というのは、あなたが生まれ変わって、その子孫になるからなのだ。

エリザベス・キューブラー・ロスの診察を行ったことがあったが、彼女の母親はとても愛情深い人だった。その人が亡くなる四年前から身体が動かず、それほど愛に満ちた人の最後にふさわしくないもの、つまり、なぜこのような目に合わなければならないのか、と問うたことがあったが、彼女は、愛を与えるだけでなく、愛を受け取る体験をする必要があった。バランスをとる必要があったのだ。

私たちは毎日、自分を新しく作り変えている。今のあなたは10年前のあなたでもないし、10か月前のあなたでもなく、10分前のあなたでもない。目の前の相手もそうである。今、この瞬間のその人を見てください。あなたと彼ら、あなたとあなた自身の関係も常に変化している。過去のその人ではない。過去を赦してください。

新しいポジティブな見方で見ることができたら、イメージも関係も理解と愛情に満ちたものになりませんか。

心が過去や未来にとらわれていると、どんなにおいしいコーヒーも逃してしまいます。誰かが飲んだのではなく、自分が味わうことなく飲んだだけです。

人生の甘露を味わうためには、今を生きなければなりません。立ち止まって花の匂いを嗅ぐことをしなければ、すべて手元から落ちていってしまいます。

成功とは物とかお金ではなくて、感じる喜びではかるものです。」

 

ワークショップの後、ネガティブな出来事は何を教えていたかわかりました。私のハートは「もっともっと愛せるはずだよ」と教えていたのです。もっと大きな愛で人も出来事も包み込むことができる。それを実際にどんな場面でもできる人になるように、起こっていたのです。いつもそこに神様がいて、私がどこまでできるか、見ているようです。それは懲らしめたいからではなくて、期待していてくれるからです。「もっと愛せるよ。」というメッセージです。

その先に何があるか見るためには、今ここを全力で生き抜くだけです。私は、その先に何があるか見てみたいから、今日も全力で、今ここを生きようと思っています。

 

 

生きることは愛を深めていく道

「私が今までに見たものが愛の証であるなら、まだ目にしていないものもきっと愛に違いない」      ~シルバーバーチの霊訓より~

生きていくということは、この過程を深めていくことだと感じています。苦しいこと、理不尽に思えること、つらいことは、その中にいる時は、逃れたい、早く嵐が通り過ぎてほしい、と願うだけで、意味を考えている余裕もないし、神様に答えを聞いても、教えてもらえることはありません。

その時、自分を支えるものは、自分の信念だけでしょう。自分が本当の自分から乖離(かいり)しているほど、エゴが自分を守るための判断を受け入れてしまいますが、人生の諸問題に真摯に向き合ってくると、自然にエゴが落ちて、傷ついてもいいから、自分に正直に生きよう、という判断を下せるようになります。

前に、「神様のテスト」というタイトルで書いたことがありましたよね。私が一番苦手とする問題が課されていました。「自分さえあきらめれば」「自分が自分を引っ込めれば」うまくいく。だけどそれって、愛だろうか。自分に嘘をつくことは愛だろうか。人を立てる(傷つけない)ために、自分をおろそかにする(傷つける)ことを神様は望んで、このテストを私に受けさせているのだろうか、と自問したものです。

自分の気持ちを通して、自分をさらけだして、神様の本心を知ろうとしました。相手と思っているのは、すべて、私が学ぶための役割を演じているにすぎなくて、その人がしたことを、いいとか悪いとか、ひどい人とか思うことよりも、神様の真実を聞きたかったのです。

気が付くと、課題は修了していました。まるで病巣が自然に治癒していたようです。私がしたことは、一番怖い場面で、自分に嘘をつかなかった、ことだけです。この方法が適切かどうかの自信はありませんでしたが、後悔はしませんでした。

その時の私の対応を神様が喜び、問題解決に繋がっていたことが今はわかります。もし、逃げていたら、何度でも同じような問題が気づくまで起こってきたでしょう。

一つ問題をクリアする度に、愛に目覚めていきます。それは自分で解決し、自分の力で選び取った勝利です。もう二度と誰にも奪われない真実です。

この喜びを胸に、今日も生きていきます。これからもきっと、またいろいろあるでしょう。地上にいる限り、学べることはたくさんあるはずですから。でも何があろうとも、すべては私が愛を深めていくために起きているんだと今は知っているので、ただ安心して、前進していきます。

人生は奇跡に満ちています。あなたにもきっと、何か起こっているでしょうね。あなたが、きっと乗り越えて、思いもしなかった喜びを手にしていくことをうれしく思っています。「ひだまり」が、いつかどこかであなたが、くじけそうになった時、前を向く励ましになればと思っています。