「日々雑感」カテゴリーアーカイブ

夏至の日に寄せて

昼間の一番長い日。今日の夕方は、太陽がいつも以上に美しく、夕焼けもきれいでした。こんな日は、生きてて良かった、とただ、思います。

いろんなこと、たくさん考えてしまう日もありますが、生きる喜びを享受したくて、生まれてきたのでしょう。

生きる喜びの中には、幸せを感じることはもちろんですが、つらいことや、めげそうになることを乗り越えた時にしか見えてこない、体験できない喜びもあります。

廻り道をしても、最初よりもっと愛の深い人になることができたなら、その廻り道は通って良かった道です。

自分に正直に生き始めると、自分を偽っている時はすぐにわかるようになります。魂が泣いているのを感じるようになりました。

だから、エゴが必死に私を守ろうとしてくれても、魂を置いてきぼりにはできません。「ごめんね、エゴ。今までありがとう。でも私は傷つくことがあったとしても、魂の声を聴いてあげたいんだ。それが本当の幸せだって、わかったから。」

そして、魂のいたところまでもどってきて、魂と私が一つになった時、本当の幸せは心で感じるものなのだと、気づきます。私が幸せなら、それを人に証明する必要はないし、形も姿もいらないのです。

時の流れの中で、ありのままの私として、今を喜びながら、ただ生きていればいい。私が私を選んで、生まれると決めたのだから。起きることすべてが、愛に違いないのです。

『NO LIMIT』

登山家の栗城 史多(くりき のぶかず)さんが、亡くなったことを今日知りました。ひだまりをまだ、院内だけで出していた平成22年11月号で栗城くんの『NO  LIMIT ~自分を超える方法』という本から、抜粋して特集したことがあります。

栗城くんのチャレンジは無謀であるとする人や、嘘つきと呼ぶ人もいて、人の評価は様々です。

私はこの本を読んで、限界にチャレンジしている人だからこその胸を打つ言葉をたくさんもらいました。

今、この本を読み返してみても、やっぱり、素直にいいなあ、と思うのです。そんな言葉を今日は、いくつか、ご紹介して、栗城くんへの、感謝の気持ちに代えさせていただきます。

 

山登りはとてつもなく苦しい。でも苦しければ、苦しいほど口から出る言葉がある。「ありがとう」

本当につらい時がある。でもその苦しみからいつも逃げているわけにはいかない。かといって立ち向かったとしても、勝ち目がないかもしれない。そんな時は苦しみに対して「ありがとう」

 

高い山は酸素が少ない。吸えない感じはないが、吸っても吸ってもからだに力が入らない。一体何回吸えば、一回分になるんだろうと焦る時もあった。でも本当は、吸おう吸おうとするから駄目なのだ。

酸素が少ない時は、吐けばいい。吐けば入ってくる。自分が出そうとしないと入ってこない。欲しい、欲しいってやってると入ってこない。何か欲しい時は、自分から吐くこと。そして与えること。自分が吐き与えることによって、酸素も喜びも入ってくる。

 

山登りで一番危険なのは執着心だ。登り切れば幸せなのは確実だが、頂上に行けるかどうかは「山の神様におまかせします」 強い思いには必ず限界がやってくる。大切なのは登っても、登れなくても感謝すること。

 

一番好きな桜は、満開の桜がヒラヒラと、風に揺られて散っていくとき。もし、桜が散らなかったら、こんなに美しいとは思わないだろう。命も同じ。終わりがあるからこそ、「今」があることに感謝し、命を燃やして生きようと思える。

高校の時、僕は母を亡くした。体中にがんが転移していく中、普通だったら「つらい」とか「痛い」とか弱音を吐いてもいいのに、母はまったくそういうことを言わなかった。

かわりに聞こえるか聞こえないかの声で「ありがとう」と口を動かした。母の最期を見届けた瞬間、僕は何のために生きるかを考えはじめた。人間というのは限りがある。そして、終わりが近づくとわかっていても、心を折らずに、そうやって生きていく人もいる。その姿を見て、自分も一生懸命生きなければと思った。最期に「ありがとう」って言って、この世を去れる人間になりたい。

最期に感謝できるような、人生を送れるか。長く生きられたかどうかは関係ない。

大切なのはいま、どう生きるかだ。

映画『かぐや姫の物語』を観て

私は行ってみたかった。あそこで、「生きる」ということをしてみたかった。自分の足で大地を蹴って走り回り、木に登ったり、水を手ですくって飲んだり、風のわたる木陰の元で眠り、生きる喜びを感じたかった。

そのことにあまりにも憧れたために、それが具現化し、人間になった。子どもの頃、幸せと気づくこともなく、暗くなるまで川原や原っぱで遊んでいた。あの頃が無性に懐かしく、自然の中にいるだけでただ癒されるのは、私の魂の願いがそこにいる時には、ただ暖かく地球に受け容れられているのを、感じられるからなのだろう。

子どもの頃のままで生きていけたのなら、私は幸せになれたのかもしれない。でもそれは許されなかった。人々は幻想があまりにも深く、目覚めることができない。肉体を持つことによって、恐怖が生まれた。食べるために、闘わなくてはならず、身を守るために、人と争い、分離の意識はどんどん拡大していく。

その世界で生まれ変わる度、カルマを作り、また次の人生でそのカルマを返さなくてはならず、またカルマが生まれ、またその返済に追われる。

でももし、ここが夢、幻だとひとたび気づくことができたら、天の羽衣を身にまとい、地上の残渣のすべてを洗い流して、源に還ることができるのかもしれない。

どんなに願っても、ポジティブに生きても、願いは叶わない。叶わない仕組みになっている。なぜなら、私はこの夢から覚めなければならないから。ここが自分の本当の居場所ではないことに気づかなければならないから。

この世界に絶望しなければその深い眠りから覚めることはできず、永遠に夢の中で輪廻転生を繰り返していく。

私は帰りたい。帰ろうと思う。ここでの暮らしを懐かしく思って涙することもあるかもしれないけれど、幻想なのだ。泣いたり笑ったり、怒ったり、苦しんだ経験を大切に胸にしまって帰ろう、故郷へ。

 

映画『かぐや姫の物語』を見ました。公開当初、母が見たいと言っておりました。新聞を見ることの無い私が、昨日は何となくテレビ欄を手にとっており、テレビでこの映画が放送されることを知りました。

『かぐや姫の物語』ははすべての人の物語です。そして、翁も嫗も登場人物はすべて私たちすべてです。どちらの役もやってきました。地上に生まれてから何度も生まれ変わって、何度もたくさんの間違いを繰り返しました。ただ、間違いと本人は気づいていないだけです。

翁は姫を心から愛し、大切に思っていました。それは真実です。でも、姫は翁のすることで幸せを感じたことはなかった。でも翁はそれに気づくことができなかった。自分のしていることこそが、姫を幸せにするのだという固定観念を疑うことがなかった。彼がどこかで、立ち止まって、「これでいいのだろうか」と考えることをしていたら、姫をあそこまで追い込むことはなかったかもしれません。

でも人間は、人類は、立ち止まることができないのです。そして、万人が望むものこそが幸せなのだと、信じ込まされています。周りの人も、メディアも、より多くを持ち、より豊かでより華やかな生活こそが幸せなのだと、日々人々を駆り立てています。

そして競争し、その競争に勝ったものだけが優れている、という分離分断の思いが更に更にこの幻想と闇を深くしています。でもほとんどの人は気づきません。これもまた、気づくことがないような仕組みになっています。映画『マトリックス』も良かったらご覧になってください。

私は今は『マトリックス』の世界が真実だと感じられるようになりました。どんどん真実を見せられています。どんどんこの世界から引き離されています。

私と同じ思いをした人は共感してくださると思いますが、たぶんごくわずかでしょう。

『シルバーバーチの霊訓』はじめ、霊界通信の中で高級霊が話していたことで共通していたことの一つに「この世はあの世への準備でしかない」ということがありました。

生身の肉体を持ち、生の体験をするからこそ、魂は磨かれ、より光り輝くものとなっていく。地上にいる時こそ、魂を磨く時である。

でもそれは、悲しい、苦しい、痛い、不幸などを経験するという意味でもあります。私はたくさん泣きました。いつも今も「愛とは何か」の試練にさらされています。

天の羽衣を身にまとえば(あの世に還れば)、このように心ざわつくこともなく、いつも穏やかな心持ちで過ごせることでしょう。この世は喜びと悲しみの両方を体験する場所です。比べるものがあるから、比べることができ、そのものの価値を自分で見出すことができます。

きっと、天界に還れば、今の苦しみや悲しみも、俯瞰するように、本を読むように見ることもできるのでしょうが、ここにいる限り、ただ信じて生きていくだけです。

高畑監督がこの映画の中で伝えたかったことはきっともっとたくさんあって、もっと深く考えておられたことと思いますが、私はこの映画を見ることができて、とても幸せだと思いました。高畑監督に心からの愛と感謝を込めて、ご冥福をお祈りいたします。

今年の野草酵素仕上がりました

ご無沙汰しております。お元気ですか?今日、今年の春の野草酵素が仕上がり、早速、試飲してみました。去年のものより美味しく感じられました。去年、野草酵素を作ってから、夏には、梅で、秋には根菜類中心の有機野菜で作りました。

何より、一番喜んでいたのは母で、体調がずっと優れなかったのですが、とても元気になったようです。私は普段から元気なもので、飲んですごく良かった、という実感もありませんでしたが、身体の弱っている人には、効果バツグンのようです。

自分の手の常在菌で発酵させていくので、自分だけのオリジナル酵素飲料ができあがります。私の手の菌で発酵させていくので、積極的に人に飲んで!とすすめられるものでもないのですが・・・。でも、ぬかみそも同じ作り方ですからね。

去年は、野草摘みが後半の部だったので、増冨温泉近くまでいきましたが、今年は5月5日に採集したので、オオムラサキセンター下の草むらで行いました。

仕込みが行われたのは、会の主催者である松永さんが、前にペンションをなさっていたところで、今は「あしぇっと」さんというレストランになっているところです。標高1000m、八ヶ岳南麓の森の中にある創作フレンチのレストランです。

私と母で参加したのですが、都会からいらした方が、野草をとったり、きざんだりするのは初めての様子で、私の刻んだ野草を見て、「そういう仕事の方ですか?」と感心しておられましたが、去年も同じことをしているので、経験がものをいったのでしょう。

お昼をあしぇっとさんでいただきながら、酵素の話やら、健康情報を松永さんからたくさん、お聞きしました。松永さんの声はヒーリングヴォイスでとても聞きやすいです。

母が言うには、八ヶ岳は増冨温泉とまた、空気感が違っていて、洗練されているそうです。増冨もとってもいいところですが、八ヶ岳南麓も素晴らしいところです。野草を夢中になって取ること自体がとても癒されます。自然の中にまるごと入って、子どもの頃にタイムスリップしたようです。

5月19日の土曜日が今季最終ですが、良かったら問い合わせてみてください。身体の弱っている方、体調が優れない方、何か健康に良いものを探していらっしゃる方にはおすすめです。

山梨手作り酵素の会           http://ideanote.jp

Tel. 080-5435-2785