「日々雑感」カテゴリーアーカイブ

『HEAL』(奇跡の治癒力)

昨日は、横浜のみなとみらいで行われた「HEAL」という映画の上映会に行ってきました。このお知らせは、オーラソーマのメール通信から来たものです。日本各地を回っていますが、各地一回きりの上映です。

どうしても見たくて、3時すぎに、クリニックを出て、5時45分くらいに到着しました。圏央道を通ると、途中、渋滞していましたが、このくらいの時間で行くことができます。ただ、車のナビはまだ対応していなので、グーグルのナビを使っていきました。「左、ジャンクションです」などの言葉を聞きながら、運転していると、まさにゲームでした。映画もとても良かったのですが、ドライブが楽しくて、終わって家についたのは11時過ぎていましたが、疲れていませんでした。

気功の成果だと思います。いつも、身体にエネルギーが満ちています。太陽を頭の上で抱えるイメージの気功があるのですが、あれは太陽エネルギーそのものを、更にパワーアップして、身体に取り込んでいるように感じます。

映画終了後に、主催者から、この映画を皆さんで、集まって見ることの意義について、お話がありました。それは、今、胸に感じている、感動や、驚きや、喜びなどの感情を共に感じることの大切さでした。今、胸に感じている暖かい思い、それこそがHEAL(癒し)なのだと。私は、この暖かい感情は毎日、いつも感じている、と思いました。

いろいろな気付きのあった映画でしたが、私がいちばん思ったことは、「ゆるす」ことが、一番初めに起こる必要のあることではないか、ということでした。

身体の症状に現れてくるのは最終段階です。現代医学でも、患者さん自身も、その症状しか、みません。なぜ、その症状が現れてくるのか、原因について、考えることはありません。

忘れてしまうほど、遠い記憶の彼方に封印されてしまった心の傷が何年も、何十年もたって、目に見える症状として、現れてきている可能性もあります。

一人の人間は宇宙です。身体、心、マインド、ハートなどあらゆる要素がお互いに作用しながら、一人の人間を生かしています。どれか一つ、どこかのある部分だけを診ても本当の答えにはたどり着けません。ほとんどの人は、自分の心さえ、制御できません。外側で起きることに、簡単に支配されてしまいます。そしてそれに反応するだけです。

例えば、人の悪口を言うのは良くないことだと、みんな知っています。でも、自分に害が及ぶ時は、当たり前のように、相手を非難します。立ち止まって、なぜ、こういうことが起きているのだろうかと、考える人はほとんどいません。

自分が幸せなら、人が何といっても、気にならないんです。自分のことが大好きだったら、誰かが私のことを非難しても、侮辱しても、「ホント、私、バカだなぁ」って笑いとばせるんです。

でも、自分が自分のことを好きでなかったら、相手の言葉は暴力であり、凶器にもなります。だから、相手を許すことはできません。

「私は、もうこの十年以上、怒ったことがありません。」と言ったら、皆さんは、何と思うでしょう。嘘だと思うでしょうね。元々、誰かに向けて、感情を爆発させることはほとんどなかったのですが、いちばん最後に怒った日の出来事は、今でもよく覚えています。

父と電話で話をしていて、ある人の悪口を私は言っていました。父が狼狽するほど、私は、次から次へと、その人の悪口を言っていました。言いながら、いつか、自分に天罰が下る、とものすごく恐怖を感じていました。

しばらくして、ある言葉に出会いました。それは「どんな人も自分のベストを尽くしている」という言葉でした。だから、責められる人は誰もいないんです。

私は、自分のことをずっと責めていました。愛したことなど一度もない人間でした。いつも、「もっとこうだったら良かったのに」と思い続けてきたんです。人を責めている裏には、いつも、自分を責める気持ちが隠れていました。

でも、きっと時が満ちていたのでしょうね。たった、これだけの言葉なのに、許しが起こったんです。その時々で、すべてがパーフェクトだった。私はいつも、ベストを尽くして生きてきた。できないこともたくさんあったし、失敗も数えきれないくらいした。でもあの時の私にはそれが精一杯のことで、頑張って生きてきたんだ。それがわかったんです。

同時に、みんなそうなんだ、と思いました。その人は、それがいいと思って、その人の精一杯を生きている。だから、たとえ、私が傷つくようなことをしても、それがその人の精一杯なんだと受け止められるようになりました。

今では、もう一歩すすんで、その人を通して、神様が、私に言っている、と思います。相手の中にも神様がいる、とまではまだ思えないのですが、その人を通して、私を試していると思うこともあるし、教えてくれていると思うこともあります。だから、全然怒らなくなりました。

前回、ご紹介した原初音瞑想は、自分が生まれた時に地球で聞こえた宇宙の音をマントラとして使います。100種類の中から、一つ、自分だけに授けられるものです。5千年もの間、グルやマスターから、受け継がれてきたものです。その音を唱えることで、生まれる前に、宇宙意識と一体だった時の自分とつながり、その時あった無限の可能性と共に、瞑想後の生活にもどってきます。

顕在意識だけでは思考の外に出ることはできません。思考のおしゃべりは途切れることなく続き、同じことを繰り返し、死を迎えます。瞑想することで、思考の外に出ることができ、いつもの自分ならとらない行動や、考え方をして、それがまた新しいものを連れてきます。

気功や瞑想は一人でできるし、身に着けてしまえば生涯、宝になります。ただ、実際に、自分でやってみなければ、何もわかりません。少しでも、興味を惹かれたら、やってみてください。何事もそうですが、毎日続けたら、本当に奇跡が起こると思います。現状を嘆くことをやめて、自分のできることを一つでも、本気でやってみてください。

人生は可能性と喜びにあふれています。それをあなたの人生で感じてください。あなたは必ず幸せになれます。その途上で、泣くこともあるかもしれないし、苦しみにうちひしがれることもあるかもしれません。

でも、自分と向き合うことは、癒しにつながっています。いつか、すべてが恵みであったと気付く日がきます。

One step beyond. (一歩先へ)

季節の変わり目ですが、皆さん、お元気でお過ごしですか?

三枝クリニックも11月10日で、開院15周年を迎えました。皆さまに心から感謝申し上げます。お身体のことで、何かご心配なことがありましたら、これからも、気軽にご相談していただけたらと思います。

それに伴い、二階の屋根裏兼物置に配線工事をすることになり、そこに置かれた15年分の物やごみの片づけをしておりました。大きな屋根裏ですから、たくさん、物が入ります。忙しいと言いながら、放置してきました。

23日は例年、クリスマスの飾りつけをしているのですが、今年は、それより、物置の片づけが優先事項です。いつか、やらなければ、と思っていたことがついに、目の前に突き付けられ、初日は、ごみに埋もれ、夜中に、頭痛で目が覚めました。

5日間かけて、やっと終わり、昨日の夕方から、工事が入りました。

追い詰められれば何でもできるし、追い詰められなければ何にもできない。いつも思います。ただ、前と違うのは、タイミングが整ってきたということです。

大きな仕事をかかえている時は、それだけに専念できるようになっていて、今なら時間がとれる、という時にこういう仕事は飛び込んできます。だから、抱えきれなくて、自分が崩壊してしまうようなことはなくなりました。

しかも、体調も万全でした。前日、スパランドで岩盤浴に入っていたのですが、だるさがとれず、酸素ボックスに入りました。15分たつころから、足先に血液が流れるのが感じられるほどで、だんだん頭もスッキリしてきました。45分して終了すると、生まれ変わったように気分爽快でした。酸素ボックスは、おすすめです。

25日の日曜日は、いつものように、昼間、プールで泳ぎました。1kmを30分で泳ぐのですが、この日は25分で泳げました。腕がどんどん前に伸びて、15年前くらいの身体にもどっていたようでした。

酸素ボックスの効果もあるのでしょうが、もう一つ、思いあたることがありました。それは、もう一か月以上、毎日、気功を続けていることです。

近くの公園のこともあれば、ちょっと遠くの公園のこともあるのですが、外で、裸足でしています。前にご紹介した、水島さんのメール気功教室で、小周天気功と大周天気功を教えてもらいました。

動きがおもしろいのです。気功も瞑想もクリスタルボウルも、自分と宇宙をつなげるものだと思います。心がきれいであること、世界は素晴らしいところであると思えること、すべてに愛と感謝の心を持てること。これらが整っていて、はじめて、気功も瞑想もクリスタルボウルも、その本来のパワーを発揮できます。

心が整っていないのに、ツールとしてだけ、これらのものを使おうとすると、良くないものを引き寄せてしまう可能性もあります。チャクラを開くというのは、そういう危険性もあるそうです。

昨日は原初音瞑想の勉強をネットでしておりました。ディーパックチョプラ博士が最適化したもので、インドの5000年の歴史の中で受け継がれてきたもののようです。瞑想は、瞑想した後の、日常生活で奇跡を味わうために行う、というのが、この原初音瞑想の特徴です。

一般的な瞑想でも、心の平安や落着きは得られますが、さらに宇宙意識に踏み込んで、神と共同創造している自分を実感できる瞑想法のようです。こちらも今から勉強していこうと思っているので、また、経過報告させていただきます。

シンクロニシティからフローへいたるほど、人生にミラクルが起こっていますが、さらにパフォーマンスを上げていけるんじゃないかと思います。自分の無限の可能性をどこまで開いていけるのか、とても楽しみです。

今よりもっと自信をもって、もっと愛にあふれて、もっと素晴らしい自分自身を表現していくことが宇宙の望みであると思います。今日の自分を超えていく。明日はもっと素敵な自分になっていく。そして、一体、何がその先にあるのか、いつも、一歩先の自分に思いをはせながら、成長し続けていけたらと思っています。

 

大好きなバラの花たち

今日の午後、バラの苗を4本、植えました。この時期は、パンジーの苗やチューリップの球根の植え付けが毎年の恒例行事です。今年は、ほおじろえいいちさんの「レムリアの薔薇」のDVDを見てから、更にバラの花の虜(とりこ)になり、育ててみたいバラがたくさんできました。

一番育ててみたかったのは、「プリンセス・ドゥ・モナコ」。モナコ公国王妃となった女優グレース・ケリーに捧げられたバラです。白地にピンクのふちどりのある上品で美しくかわいらしい花です。「レムリアの薔薇」のDVDの映像の中でも、特に心惹かれたバラでした。このDVDはバラの好きな方には特におすすめします。

この苗を含めて、4本セットのものを購入しました。ダブルディライトというつるバラ、こちらはクリーム地に赤の覆輪です。熟した果物のような甘い香りがとても魅力的だそうです。

イントゥリーグという上品なワインレッドの花を咲かせる苗も入っていました。濃厚なダマスク香があり、ベルベットのような質感で、妖艶な美しさがある、ということです。

もう一本は、天津乙女(あまつおとめ)という品種です。日本人の作出した花で初めて世界的評価を得た記念すべき品種ということでした。黄色いふっくらした花が咲きます。

バラの植え付けには、結構大きな穴を掘らないとならないのですが、夢中で掘っていたら、ずいぶん時間がたっていました。我を忘れて、バラの花のことだけ考えて植え付け終わると、とても幸せな気持ちに包まれていました。

バラの花は、「花の女王」と言われていますが、君臨するイメージではないのですよね。とても癒しのエネルギーを発しています。

以前、天使のチャネリングのサイトで「マダム・アイザック・ペーリエ」というバラは慈悲のバラとして紹介されていました。すぐに取り寄せて植えました。自宅の庭に咲いています。

前回のひだまりの写真のバラは「アブラハム・ダービー」というイングリッシュローズです。待合室から、見かけて、あんまり美しいから写真におさめたのですが、その写真を見る度、ため息をついていました。オールドローズやイングリッシュローズは巻きが深くて、花屋さんで見かける現代的なバラとは違う魅力があって、一時期、とても凝っていました。

まだ、植え付けスペースはありそうなので、来年の秋までに、どんなバラを植えようか、と悩む楽しみが増えました。

黄色のモッコウバラは気がついたら枯れていました。植えてから14年ほどたちますが、この夏の暑さで弱ってしまったのかもしれません。
「ピエール・ドゥ・ロンサール」というバラも美しくて、とても気に入っていたのですが、日当たりがあまりよくないところに植えてしまったので、数年で枯れてしまいました。

花との出会いは、人との出会いに似ていると感じます。今回の4本セットは、セットで買ったほうが断然お得だったので、セットに決めたのですが、「プリンセス・ドゥ・モナコ」以外はどんなバラかほとんど知りませんでした。植え付けてから、調べてみて、どのバラも、そのバラだけの魅力や特徴があって、夢がふくらみます。

もしかしたら、生涯出会うことがなかったかもしれません。バラの花は本当にたくさんの品種があって、それも素敵な花ばかりです。こうやって、私の元を訪れてくれたバラはきっと、ご縁のあるバラなんだと思います。これからは、もっと心を込めて、大切に育てていこうと思いました。

バラのことをいろいろ調べていたら、「姫野ばら園 農場日記」というサイトに行きました。八ヶ岳北麓にあるバラ苗専門店です。
そちらの代表である姫野さんのブログの中で、「惹かれる、ということ」が書かれていました。
花を専門に育てるということは、好きなだけではできない厳しさもあると思います。その厳しさも含めて、花を育てる喜び、花が与えてくれる喜びがあるから続けていけるのだろうと思いました。心に響いた言葉をご紹介します。

「『惹かれる』という心の動きには、私達が忘れてしまっている、だけど本来は失われていない魂の目的を、思い出すためのヒントが詰まっていると感じます。

その人がその人らしく、いちばん輝ける人生の舞台を『惹かれる』気持ちが教えてくれている、そんな気がしてなりません。

『惹かれる』気持ちは、私達が希望を失わずに歩いて行けるように、また天から託された使命を果たせるように、人々の心にそなわった道標、守護の力なのだと感じております」

価値判断を手放す

しばらく前からエクスカリバーのことがとても気になって調べておりました。大天使ミカエルの剣がエクスカリバー、アーサー王の剣もエクスカリバー。そして、導かれた本があります。

『時を超える聖伝説』( ボブ・フィックス著 三雅 発行 )

ボブ・フィックスさんはフルフィルメント瞑想で名前は知っておりましたが、チャネラーということは知りませんでした。しかも、この本はアーサー王に仕えたと言われる魔法使いマーリンをチャネリングして書かれたものです。まだ、宇宙もなかったところから、話ははじまります。壮大な物語です。知らないことのはずなのに、知っているという不思議な感覚の中、胸にせまってくるものを感じました。

今日まで読んだところの中に、とても腑に落ちたことがあったので、それをお伝えしたいと思います。

まず、「なぜ、価値判断をすると幸せから遠ざかるのか」ということです。

「生命は永遠であり、破壊や死は存在しない。生命はすべてを抱合する。だからこそ、神の反応は常に、『それは良い』と『それはとても良い』なのだ。
神の最初の反応は、常に支持するというもの。だからあなた方の最初の反応も支持します、というものであるべきなのだ」

イブが「善悪のリンゴの実」を食べた時から、人類は神から遠ざかっていきました。善悪のリンゴの実とは価値判断をする心のことです。

わかりやすいたとえ話がありました。

「自説に固執するようになった瞬間、あなた方はパワーを持った者たちの手に落ちる。彼らの見解の中に吸い込まれ、自己の真実から、より高次の目的を満たすことから切り離されることになるだろう。
想像してみてほしい。家に帰ろうと歩いていると、まだ帰ってほしくないと思っている誰かが道端に立って、意見を大声で叫んでいる。あなたはその意見に同意できないと感じる。そこで立ち止まって、そんなことはないと反論するかもしれない。するとあなたはその議論に巻き込まれながらどんどん家から離れたところに連れていかれてしまう。そうしているうちに、自分の家にいるのはどんな感じだったのかを忘れるようになってしまう。そして、人生なんてこんなものだ、と思い始めるのだ。議論、不快さ、不満足といったものがあるのが人生なんだと。」

私は、この前、目の前にたちはだかる高い山を目にして、「本当にこの山、登れるんだろうか。」と思いました。でも、登れたんですよね。信じて一歩一歩登ったら、頂上についていたんです。いろんな課題がありました。「もうだめだ」と思う機会も何度もあったのに、助けてもらえたんです。自分の力というより、目に見えない力が働いていました。そして、思ったことは、私に一番求められていたのは、どんなに自信がなくても、どんなに不安でも、「はい、やってみます。」と答えることだったのだと。

そこが一番の難関なのです。「信じてゆだねる」。目に見えないもの、結果の分からないもの、途上でどれほどの困難が待っていても、やります、という勇気。
それは全面的に、神を信じる、ということで、私たち人類が一番とりもどさなければならないものなのです。

自分で価値判断をすることによって、神の調和のエネルギーから離れていくのです。「これはいいね」とか「これは良くないね」と仕訳をする仕組みは神にはないのです。神に無いことをしていく時、宇宙の流れに逆行することになり、調和と愛だけの世界から切り離されます。一人ぼっちになります。だから、自分と同じように一人ぼっちの者同士がくっついて、愚痴を言って慰めあっていますが、どこにも平安を見出すことはできません。

神にも宇宙にも愛のエネルギーしかありません。生きていく間に、誰かを非難したり責めたいと感じることもあるかもしれません。そんな時は、どうか覚えておいてください。

「愛は悪を溶解する唯一のパワー。悪が留まる場所を持たなくなる時、そして愛された時、悪は変化し癒される。これ以外にあなた方の敵を一掃する術はない。愛する以外の行動はすべて分裂と破壊につながる」

ハートで生きる、それが答えだと思います。そのために瞑想は実践的一歩だと思います。幸せとは何か、どんな感じか見つけていけると思います。自分の内側に入って、本当の自分と対話するとき、神と対話しているのだと思います。