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変革

5月16日に天王星が7年ぶりに牡羊座から牡牛座に移動するという占星学的情報が流れていました。天王星は変革の星で、現在を打ち破り、今までの枠を壊して、新しい何かを目覚めさせるエネルギーを持っています。特に移動するときほど、そのパワーを発揮するということです。

前回、動いたのは2011年3月12日。東日本大震災の翌日です。目に見える形で大きな変革が起きた時でした。死者、行方不明者が約二万人にもなり、ある日突然、愛する人々を失った方々の痛みは、今も癒えることはないのかもしれません。

宮城県に岡部 健(たけし)さんという医師がおられました。看取り先生として知られる方です。この方がちょうどその頃、ご自身の癌を発症し、そのインタビューが本になったものを読んだことがありました。(『看取り先生の遺言』奥野修司著  文藝春秋発行)

その中で、先生が打ち明けていたことの一つに、岡部医院を訪れる方々が、幽霊を見た、というものでした。「亡くなった方が、あのたばこ屋の角に立ってた」というように。でも被災されていない人々に告げても誰も信じてくれないから、こういう情報は、流れないし、みんな誰にも言わないとおっしゃっていました。

大好きなお父さんが大好きだった黄色いバラが靴箱の靴の中に入っていた、というのも聞きました。目に見える形で具現化し、娘への変わらぬ愛を示してくれたのだと思います。

目に見えるものがすべてである、とほとんど誰もが思っていた中で、そういう体験をした方はものの見方が全く変わってしまいます。あの時は、目に見える形で大変革が起きましたが、今回は目に見えないところで変革が起きているのを感じます。

内面に多大な影響を与えています。私も、自分の中で、その頃を境に意識の変容が起きています。『かぐや姫の物語』はその呼び水であったようです。

しばらく前に、クリスタルボウルのCDを購入して、毎晩就寝時に聞いています。前に、クリスタルボウルの演奏会に誘って下さった方がいたのですが、その時は興味もわかなかったのに、この前、本屋さんに行ったら、なんとなく気になって、購入しました。たぶん、あの時はまだ私には、「その時」ではなかったのでしょうね。(聴きながら眠るだけで7つのチャクラが開く CDブック  永田兼一著  フォレスト出版)

初めて聞いた時、骨の髄まで音がしみ込んできて、血流がよくなっていくのが感じられました。初めての衝撃体験で、聞くほどに、血液がきれいになっていくように感じています。水晶の波動が体内の水である血液に伝わって、ヒーリングを起こしているのだと思います。

スピリチュアルに導かれている方はご存知かもしれませんが、Neo Glimmer さんというアメリカ人の方が、アセンション・コードの情報を出してくれています。高次の存在からもたらされたもので、DNAを書き換えるコードだそうです

私も就寝前にこのコードを模写したところ、いつもはクリスタルボウルの音楽が終わるまで夢うつつで起きているのですが、その日は一分で寝落ちしました。

全く記憶がありません。夕べは3日目だったのですが、眠っている間に、5次元にいるんだという感覚があり、そこが自分の居場所で、朝起きたら、肉体というモビルスーツを着て、3次元の生活を体感するために、やってきている、という感覚でした。

これは全く私の個人的な経験なので、その人その人で、体験することは異なってくるだろうし、まったくアホらしくて信じられないという方も多いと思いますが、これが私の導かれている道ですので、皆さんにシェアしながら、皆さんもご自身のアセンションの道を楽しまれながら、光の中をすすんで行っていただけたら、と思っております。

少し前までは、3次元がすべてで、目に見える世界がすべてと多くの方が思っていたと思います。つらい現実の中で、中には自死を選ばざるを得なかった方もいらっしゃると思います。

でも、自分という存在は魂であり、永遠であり、その永遠の存在が一時、地球の生活を体験したくてきているのだ、と考えられたら、すべてをもっと楽しめるようになると思います。苦しい生活が自分のすべてなのではなくて、体験の一つだというふうに見ることができたら、救われる方も多いのではないかと思い、私もこのようなものを書いています。

Neo GlimmerさんをYou Tubeでひいていくとアセンション・コードなど情報が出てくると思います。「Remove Torment Remove Testment」というPDFを開くとコードをダウンロードできるページが開けると思います。(K Angel さんのYou Tube も参考にしてください)

アセンションという言葉を初めて知った時から、6年ほどたちますが、人生をすすむキーワードです。皆さんのアセンションの道が光に包まれ、愛と共にありますよう、お祈りしております

ここまでをふりかえって

「母のことを大好きだった」と書いていて、皆さんはどうだろう、とふと思ったんです。みんな、こんなにお母さんのこと、好きなんだろうか、と。

私の母は、私を産むとすぐ、仕事にもどりました。家の仕事でもあったため、休んでいる暇はありませんでした。23歳という若さで私を産んだので、体力もあったのでしょう。私は、おじいちゃんとおばあちゃんにとてもかわいがられて育てられました。それでも、夜、母が帰ってきて、一段落つくと、必ず、母の膝に入っていた、といつか祖父が言っていました。4年後に弟が生まれ、私は弟のことも大好きでした。

小学校に行ってから、よく風邪をひいて休みましたが、それは今思うと、風邪をひくとお母さんが優しくしてくれて、私によく声をかけてくれたからです。自分の意識で風邪をひくことができました。

小1の時、もう一人、弟が生まれて、こっちの弟は年も離れていますから、私は小さいお母さんです。よく面倒を見て遊んであげました。みんなが大好きだったから、いいお姉ちゃんになっていきました。

でもそれは、決してわがままを言うことのできない、我慢が当たり前の私の性格を形成していくこととなりました。

「今週末は、買い物に行こう」という母の言葉をいつも楽しみにしていましたが、週末になると、家事がたまっている母は、「また来週でいいよね」と必ず言って、約束が守られたことはありませんでした。いつもいつも私が、がっかりしていたことを母は知りません。私は、自分の言いたい言葉をのみこんで、本心を告げることを誰にもしない子供になっていきました。

そんなわけで、母のことが大好きなのに、もっと言うと、大好きすぎる人から裏切られた心の傷がずっと私の心の奥にあったんです。見ないようにしました。どうせ、振り向いてもらえないのですから。

4、5年前だったでしょうか。人生に今までとは違う問題が次々起こり始め、悩みの渦中にあった時、ヒプノセラピーを受けました。心理療法の一つであり、催眠状態(トランス)というリラックスした状態に誘導し、ある一定の暗示を用いて、人為的に特殊な心理状態や生理的な状態に導いていく手法のことです。自分でも気が付いていない潜在意識(無意識)に働きかけることができます。

その時のことが思い出されました。

大きな図書館の中で、自分の本があるから探すよう言われ、すぐ見つかりました。真っ白い本で光っていました。その本の中の好きなページを開いて、そこに行ってください、と言われ・・・気づくと砂の上に立っていました。足もとは編み上げのサンダルのようなもので、髪は金色で風になびき、背の高いがっしりしたとてもハンサムな男性でした。兵士でした。

家には、黒い髪の黒い瞳のとてもきれいな奥さんと子供が二人いて、幸せでした。セラピストに「今世で一緒の人は誰かいますか?」と聞かれ、その奥さんが母だとはっきりわかりました。あとははっきりしませんでした。

ある時、遠くまで大きな戦争に行くことになって、帰ってこられませんでした。崖から落ちて足をくじき、歩くこともできませんでした。意識は家に飛んで、奥さんが料理を作り、子供たちが遊んでいる姿が見えました。自分の帰りを待っているのがわかりました。

でも、帰ることができないのです。私は悲しくて涙がボロボロ出てきました。そのうちに、魂が肉体から、離れ、今度は安らかな気持ちで、家に帰っていきました。

このセラピーの時は、「なんで母がでてきたんだろう」とわかりませんでしたが、今わかりました。私の問題の根底には、母との癒されていない問題が根深く残っていたこと、それが人生全般に影響を及ぼしていたこと、それから、私はきっといつも母である魂と輪廻転生を繰り返し、学ばなければならない課題があったことなど。

ここまで生きてきて、やっと、ずっとはまらなかったパズルのピースがはまった、感じです。とってもスッキリしました。

私は、これからの人生がとても楽しみなんです。11月2日で52歳になりました。マヤ暦の還暦です。52年は運命の1サイクルが完了し、ここからは、本当の自分の人生がはじまる、と聞いていました。それまでは、親や社会や外からの影響を受けて生きていくけれども、52歳からは、本当の自分で生きていくのだと、ずっと52歳の誕生日を楽しみにしてきました。それまでに自分がどう変わっていくのか、その後は何が起きてくるのか。

今までの道のりは平坦ではなかったし、道草もいっぱいしたけれど、そのおかげで、これからの人生をこんなに楽しみだと思える自分になりました。

心にいつも愛があります。それが一番うれしいことです。みんなの幸福を心から願える私になれました。素晴らしい人生に心から感謝しています。ひだまりが私の心の中の愛を少しでも、皆さんに届けていてくれますように。

『存在とひとつに』

昨日、『存在とひとつに』(OSHO講話録 市民出版社刊) という本を読み終えました。OSHOの本は、いつも新しい発見があり、自分の翼を広げてくれるように感じます。「革新的なのに、愛に満ちている」と思いますが、革新的でなければ、愛に満ちることはできないのかもしれません。既存の固定観念は、私たち一人ひとりは、どれだけ無力で、可能性のないものであるかを、毎日、思い出させようとします。

そんな世界で生きていくのは、とても苦しいことです。世界が苦しいというよりも、そういう考え方で生きることが苦しいのです。今あるものを必死に守らなければならないと思えば、夢など見られません。人と違う生き方、先の見えない生き方を怖いと思っていたら、冒険はできません。冒険のない人生は、安定しているかもしれませんが、つまらないものでもあります。

「上善水の如し」という言葉があります。水は固体、液体、気体と周りに合わせて姿を変え、容れられた器に合わせて、円くも四角にもなります。相手を変えようとせず、相手に合わせて自分をいかようにも、変えていくのです。また、ひとつところに留まることもなく、川となれば流れ続けていきますので、腐敗することもありません。年齢を経るごとに、人生を退屈なもの、つまらないもの、と感じていく人が多いように思いますが、本来、生は歓びであり、いくつになっても学び続けることができます。

もう○○歳だからとか、こんな年になって学ぶ?という答えを返してくださる方がいますが、学ぶ=勉強(いやだけど、仕方なくやる)ということが幼少期から刷り込まれているからだと感じます。「いかに生きるか」は学校では教えてくれず、社会に出てからも、どうしたら、一社会人として、うまく生きていけるかは処世術とし学んでいきますが、それだけでは決して、心や魂は満たされることはありません。

自分で求めてはじめて出会うものであり、たくさんのそういった出会いの中から、自分にぴったりくるものを自分で見つけ出していきます。今日も、皆さんの発見のお手伝いになるようなOSHOの言葉を本の中から抜粋してみます。

「たとえばあなたが幸福を感じる。そして幸福と同化する。幸福と同化するとき、不幸は始まる。今やあなたはそれに執着し、その反対を恐れ、いつもそれが自分のもとに存在するように、と願う。それによってあなたは、苦の出現に必要なものすべてを生み出す。かくして苦が現れる。そして幸福に同化する人間は苦にもまた同化する。

気分は私をめぐって変わり続けるが、私は自分自身に中心を据えたままだ。どんな気分にも同化しない。どんな気分にも執着しない。何が起ころうとも、私はそれを見る。」

「生というものは全体だ。選択はできない。だから生全体を生きる。幸福な時があれば苦しい時もある。その両方を生きるのだ。さもないとリズムがなくなってしまう。リズムなしに生は存在しない。

音楽には、音符つまり音がある。そのあとには静寂つまり間がある。その「静かな間」と「音」があって、その対極があって、音楽が存在する。「私は音だけを選ぶ。間はいらない」というわけにはいかない。そうしたら音楽はなくなってしまう。単調なもの、死んだものとなってしまう。そうした間が、音に生命を与える。

もしあなたが、この対極性の全体と、生の動き方に気付けば、もはや選択することがなくなる。そしてもし選ばなければ、執着する必要がなくなる。苦悩が来ればその苦悩を楽しみ、幸福が来ればその幸福を楽しむ。

まったく何の苦労もなかったら、あなたは貧しくなる。苦悩というものはあなたに深みを与える。苦悩してこなかった人間はいつまでも表面的だ。いつも幸福や安楽の中にいて、苦悩したことのない人間には、陰影というものがない。彼にはハートがない。ハートというものは、苦悩を通じて作り出される。痛みを通じてあなたは進化する。

また苦悩ばかりで、何の幸福も知らない人間もまた、豊かではない。豊かさは対極から現れる。対極間を動けば動くほど、高く深く進化する。

無抵抗を自分のモットーにする。私は生に抵抗しない。生のもたらすものすべてを受け入れる。そしてそれを楽しむ。」

「子供たちは活気に満ち満ちているから、反復的なものは何もない。あなたは死んでいるから、すべてが反復的だ。この行為が退屈だとか、繰り返しや単調さや、長たらしい仕事が退屈だ、といったことは関係ない。本当のところは、あなたが退屈しているのだ。

だから仕事や行為を変えようとするより、自分の意識の質を変えることだ。自分自身に対し、もっと愛情深くなる。自分自身を愛していなければ、ほかの誰も愛せない。自分自身への愛をもって初めて、そのあふれるばかりの愛が他人に到達する。自分を深く愛していたら、その愛は自分のすることすべてにあふれ出す。何もしていない時でさえ、あふれ出す。それは絶えずあふれ出し、自分の〈存在〉そのものとなる。そうすれば退屈なものは何もなくなる。」

月の光

夜、空を見上げると、お月さまがだんだんまるくなっていることに気付きます。今度の満月は5月11日6時42分です。また、ウエサク祭の頃となりました。昨年の5月にもウエサク祭について書きましたので、参考にしてみて下さい。

京都の鞍馬寺では、前日夜、ウエサク祭が行われます。鞍馬寺は京都一のパワースポットとも言われ、不思議な伝説に彩られています。私は20代の頃、一度訪れていますが、予備知識もなく、訪れてしまい、もったいなかったなあ、と思います。

鞍馬寺を意識するようになったきっかけは、オーラソーマというヒーリングメソッドを始めたことです。好きな色の液体(水と油)の入ったボトルを選んで、身体に塗っていきます。自分に今一番必要なヒーリングを自分で行いながら、潜在意識にためこまれた痛みを癒していきます。

最初に4本のボトルを選んで、2本目に選んだボトルからワークを開始するのですが、それがサナトクマラのボトルでした。下がペールイエロー、上がペールピンク。とても優しい色と香りで包んでくれました。ボトルのメッセージを紹介します。

「どうしたらいいのか、わからない。自分はこうだから、人に愛されない。今のままのあなたでいてはいけない、と誰が言うのですか?あなたはあなた以外の誰かになろうとはしていませんか?そして愛を必要としているのに、このままの自分では愛されない、と決めつけてはいませんか?「あるがまま」を受け入れること。自分を批判するのではなく、自分に対して優しく接してみましょう。今、あなた本来の明るさやユニークさ、やさしさや穏やかさを、再び取り戻す時です。」

サナトクマラ様は鞍馬寺に祀られている尊天(護法魔王尊)です。650万年前に金星から降り立ったといわれているマスターで、私たちの住むこの世界の自然や大気、生き物とのつながりへの感謝を教え、この世界と天界をつなぐ役目をしている存在である、と言われています。

ウエサク祭での祈りの詩では「魔王尊はシリウスから下された光の棒で人間たちに天の力を与える」という記述もあります。

また、「五月の満月には天界と地上の間に通路が開け、ひときわ強いエネルギーが降り注がれるという。この夕、満月に清水を捧げ心のともし灯を輝かせつつ、降り注がれる神秘的なお力を身に受けて、自分とすべてのものの「目覚め」のための熱い祈りを捧げるのが、光と水と聖音の祭典「五月満月祭(ウエサク祭 ) 」である」と鞍馬寺の資料にもあります。

オーラソーマのボトルのワークは身体に塗ってまず自分への愛を送った後、すべてのものへの愛と感謝を送ります。毎日このワークを続け、サナトクマラのボトルを使い終わる頃には、それまで体験したことのなかったような変容が起きていたように思います。

自分をありのままで受け入れられるようになると、すべてのものへの愛と感謝は自然に湧き上がり、今までそういった感情を抑え込んでいたこと、むしろ、そう思うことは偽善者であるといつの間にか刷り込まれていたことなど、いろいろな気付きがありました。

5月に入ってから、私は一段とナチュラルになったような気がします。いつもただ、愛だけがあって、それがうれしくて、すべての人とそれは分かち合えると感じています。この満月の光があなたの心と身体に沁みわたり、あなたのすべてが愛で満たされますように。