女性性の時代とは

今日は、台風の影響で、今朝はまだ大風が吹いています。夕べも一晩中、雨と風が雨戸をたたきつけていましたが、地球と心がつながっているので、愛しか感じていませんでした。

雨が降って風が吹いて、すべてを洗い流し、きれいにしている地球の思いに心をはせると、涙がでます。私はただそっと地球を抱きしめて「ありがとう」という思いを送ります。

地震の時もそうです。「ガイア(地球の女性性の呼び方)、そんなに震えなくても大丈夫だよ。いつもここにいて、愛しているからね。ちゃんと抱きしめているから、何にも怖いことはないんだよ。」と心の中で伝えます。

そういうことを続けてきて、少しづつ、前よりも、絆が太くなって、より強い信頼関係で結ばれてきているように思います。

「大切なことは目には見えない」・・・『星の王子様』を初めて読んだのは中学生の時でした。装丁の美しさと、ロマンチックなタイトルに魅かれて手にとりましたが、読後の感想は消化不良で何だかよくわからない、というものでした。

その後、手にする機会がある度に、少しずつ、わからなかったことがわかるようになり、心の成長度合いをはかる目安にもなっています。

女性性の時代が来ている、と言われています。それは目に見えないことを大切にしよう、ということです。男性であるか、女性であるかということは関係なく、ただ、女性は目に見えない部分を見たり、大切にするのが得意であり、男性は現実の世界を作っていく方が得意である、というだけのことです。

今までは目に見える世界がすべてである、という時代がずっと続いてきて、相変わらず、戦争も貧困も悲しみもなくなることはなく、「このままでいいのだろうか」ということを多くの人が感じ始め、宇宙も地球も「時が来た」ことを告げています。

外の世界に愛が見えないのは、内の世界に愛を感じていないからです。自分の中に愛を見いだせていたら、外に愛を見つける必要などないのです。いつか、目に見える形になっていきます。

自分の内に愛がないと、外に向かってどんなに愛を叫んでも、愛を訴えても、愛を出していると言っても、偽善にしかなりません。言葉では愛を与えているように思えても、実際は愛を欲して求めているのです。

自分の内が自分の愛で満たされていたら、相手に差し出す愛はただ、贈り物となります。その贈り物を相手が受け取ってくれればうれしいし、受け取ってくれなくても、それは相手の自由である、と受け容れることができます。

相手、ではないのです。愛するということは、誰かを愛するということの前に自分を愛するということからはじまるのです。相手は自分の内の愛を反映してくれている鏡です。

このような愛の思いで、相手と愛の関係を結ぶなら、依存も搾取も欲求もありません。「あなたがいてくれるだけで、幸せ」だという愛を体験できるでしょう。そしてその愛こそが永遠であり、真実であり、無条件の無償の愛なのです。

私たちはその愛を体験したいと思っています。なぜなら、それが私たちが宇宙の源から離れた時に感じた痛みを癒してくれるからです。

宇宙が、様々な体験をしたくて、私たちは個に分かれ、それぞれの魂の学びの道に旅立ちましたが、それは分離を経験しなければならない痛みの旅でもありました。

その痛みを癒したい、とすべての魂が望んでいます。だから、誰かに愛を求め、自分の望んだ愛を与えてくれる人を探し続けてきましたが、相手も同じことを望んでいるのです。お互いに満たしてくれる何かを求めて出会っても、結局、誰にも真実の愛を見つけ出すことはできなかったでしょう。

ずっと外を探してきたけれど、自分の中に愛はあったんだ、愛する人はここにいたんだ、真実の愛を分かち合うことのできる人は、ずっと一緒にいてくれたんだ、と気づく日が来ます。あまりにも近くにいたから、わからなかったのです。

今でも私の一番好きな言葉は、「私が愛なら、世界は愛になる」です。

すべての人の心の痛みが癒されて、すべての人が笑顔で愛し合える日が、いつか必ず来ると信じています。