日別アーカイブ: 2017年12月15日

ここまでをふりかえって

「母のことを大好きだった」と書いていて、皆さんはどうだろう、とふと思ったんです。みんな、こんなにお母さんのこと、好きなんだろうか、と。

私の母は、私を産むとすぐ、仕事にもどりました。家の仕事でもあったため、休んでいる暇はありませんでした。23歳という若さで私を産んだので、体力もあったのでしょう。私は、おじいちゃんとおばあちゃんにとてもかわいがられて育てられました。それでも、夜、母が帰ってきて、一段落つくと、必ず、母の膝に入っていた、といつか祖父が言っていました。4年後に弟が生まれ、私は弟のことも大好きでした。

小学校に行ってから、よく風邪をひいて休みましたが、それは今思うと、風邪をひくとお母さんが優しくしてくれて、私によく声をかけてくれたからです。自分の意識で風邪をひくことができました。

小1の時、もう一人、弟が生まれて、こっちの弟は年も離れていますから、私は小さいお母さんです。よく面倒を見て遊んであげました。みんなが大好きだったから、いいお姉ちゃんになっていきました。

でもそれは、決してわがままを言うことのできない、我慢が当たり前の私の性格を形成していくこととなりました。

「今週末は、買い物に行こう」という母の言葉をいつも楽しみにしていましたが、週末になると、家事がたまっている母は、「また来週でいいよね」と必ず言って、約束が守られたことはありませんでした。いつもいつも私が、がっかりしていたことを母は知りません。私は、自分の言いたい言葉をのみこんで、本心を告げることを誰にもしない子供になっていきました。

そんなわけで、母のことが大好きなのに、もっと言うと、大好きすぎる人から裏切られた心の傷がずっと私の心の奥にあったんです。見ないようにしました。どうせ、振り向いてもらえないのですから。

4、5年前だったでしょうか。人生に今までとは違う問題が次々起こり始め、悩みの渦中にあった時、ヒプノセラピーを受けました。心理療法の一つであり、催眠状態(トランス)というリラックスした状態に誘導し、ある一定の暗示を用いて、人為的に特殊な心理状態や生理的な状態に導いていく手法のことです。自分でも気が付いていない潜在意識(無意識)に働きかけることができます。

その時のことが思い出されました。

大きな図書館の中で、自分の本があるから探すよう言われ、すぐ見つかりました。真っ白い本で光っていました。その本の中の好きなページを開いて、そこに行ってください、と言われ・・・気づくと砂の上に立っていました。足もとは編み上げのサンダルのようなもので、髪は金色で風になびき、背の高いがっしりしたとてもハンサムな男性でした。兵士でした。

家には、黒い髪の黒い瞳のとてもきれいな奥さんと子供が二人いて、幸せでした。セラピストに「今世で一緒の人は誰かいますか?」と聞かれ、その奥さんが母だとはっきりわかりました。あとははっきりしませんでした。

ある時、遠くまで大きな戦争に行くことになって、帰ってこられませんでした。崖から落ちて足をくじき、歩くこともできませんでした。意識は家に飛んで、奥さんが料理を作り、子供たちが遊んでいる姿が見えました。自分の帰りを待っているのがわかりました。

でも、帰ることができないのです。私は悲しくて涙がボロボロ出てきました。そのうちに、魂が肉体から、離れ、今度は安らかな気持ちで、家に帰っていきました。

このセラピーの時は、「なんで母がでてきたんだろう」とわかりませんでしたが、今わかりました。私の問題の根底には、母との癒されていない問題が根深く残っていたこと、それが人生全般に影響を及ぼしていたこと、それから、私はきっといつも母である魂と輪廻転生を繰り返し、学ばなければならない課題があったことなど。

ここまで生きてきて、やっと、ずっとはまらなかったパズルのピースがはまった、感じです。とってもスッキリしました。

私は、これからの人生がとても楽しみなんです。11月2日で52歳になりました。マヤ暦の還暦です。52年は運命の1サイクルが完了し、ここからは、本当の自分の人生がはじまる、と聞いていました。それまでは、親や社会や外からの影響を受けて生きていくけれども、52歳からは、本当の自分で生きていくのだと、ずっと52歳の誕生日を楽しみにしてきました。それまでに自分がどう変わっていくのか、その後は何が起きてくるのか。

今までの道のりは平坦ではなかったし、道草もいっぱいしたけれど、そのおかげで、これからの人生をこんなに楽しみだと思える自分になりました。

心にいつも愛があります。それが一番うれしいことです。みんなの幸福を心から願える私になれました。素晴らしい人生に心から感謝しています。ひだまりが私の心の中の愛を少しでも、皆さんに届けていてくれますように。