日別アーカイブ: 2018年3月20日

新章開始

自分を振り返る機会が与えられたので、気付きを得たことを書いてみます。

私はこれを人間として最後の人生にしたい、と考えていました。試練はとても厳しいものだったし、次に生まれ変わった時、このような試練に出会っても、乗り越えられるか自信がなかったからです。社会に生きる中で、本当の自分を見失い、取り戻すために、死ぬか生きるかの闘いをくぐり抜ける場面に出くわすのはとても怖いことでした。今でも、生還できたのは自分の力というよりも、私を支え続けてくれた目に見えない存在のおかげと思っています。

残りの人生は、地球に少しでも多くの愛を残していこう、と考えていました。私を愛してくれている地球への最後のご奉公と思っていました。自分がまたここに帰ってくる、とは考えていませんでした。

どん底にあった時は、わからなかったのですが、目に見える存在として、私を支えてくれた人もいました。今、その人たちとの繋がりは前ほど感じられなくなり、その理由をさがしていたのだと思います。

映画「ロードオブザリング」は大好きで時々、見るのですが、この映画も見る度、気付きがあります。一つの使命のために、旅(闘い)の仲間が集められます。勝算の少ない闘いであり、熾烈を極めます。一人ひとりが自分の役目を果たし、心を一つにして向かっていきます。素晴らしい仲間となるのですが、闘いの只中にある時は、そのようなことを思っている余裕もありません。

そして、勝利します。勝利は旅の仲間の解散を意味しました。心の中で生き続けるとしても、現実の世界では、またそれぞれが自分の世界に帰っていきます。闘いが終わった今、一緒にいることはできないし、いる必要もありません。

私も助けてくれた人たちともっと一緒にいたいと思いました。でも役割を終えた人は去っていきます。感謝して、離れる時がきました。

試練が始まる前に読んでいたシルバーバーチの本の中に書かれていたことが、今では自分のこととしてよくわかります。

シルバーバーチの教えは、「苦の哲学」「愛の哲学」と呼ばれます。苦しみの中で真実に出会うこと、苦しみの中で愛を見つけることが何度も書かれていました。

「魂は苦しみの中でこそ磨かれるのだ。あなたもきっと、その苦しみから抜けた時に気づくだろう。ああ、あの時こそ、自分は本当に鍛えられていたのだ、ということに。」

「何と言っても、人生の悪戦苦闘を、首尾よく切り抜けて、凱歌を挙げた魂が更に更に尊い。いわゆる『艱難、汝を珠にす』で、試練によりて浄化されたる魂が、死後に於いて特別の境涯を与えられ、神の恩寵に浴する。苦労なしに真の向上、真の浄化は到底、望まれない。されば多くの魂は自ら求めて地上に降り、向上進歩を遂げんとするのである。霊的欲求はただ一つ。より以上の進歩、より多くの知識、より多くの愛、その他は何物もない。かくて地上生活の残渣はきれいに洗い浄められ、魂は絶対無限の至高境に向かって、ただ上へ上へとすすんでいくのである。」

この人生はカルマを大浄化する必要があったからこそ、とても厳しいものになったのだと思います。どの人生でも起こることでもなく、乗り越えるだけの力がついた時にはじめて、与えられるチャンスという見方もできます。

今までのカルマを浄化し、この人生を心をこめて愛で生き抜いたとしたら、来世に残す宿題はとても減らせると思いました。自分が地球に愛を残していくのは、みんなのためでもあるけれど、私のためでもあるんだと気づきました。

私はまた生まれてきます。もっと愛にあふれた地球で愛にあふれた人間としての人生を送ります。最初からやり直せるなら、やってみたいことがたくさんあります。それをやれる人生を生きるチャンスがきっと、与えられるような気がします。

そう思ったら、この人生でやりたいこと、やるべきこともわかってきました。新しい目標ができ、新しい心で生きていきます。物語の中で、自分は永遠に生き続けていくのです。