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クリスマスの贈り物

冬至を過ぎて、今朝は太陽の光が、陰から陽に転じたのを感じています。

今日はクリスマスイブですね。三枝クリニックは救急当番日ですので、私もこれを書いたら、出かけます。

原初音瞑想をはじめて2週間くらいたちますが、タイミングが更に合ってきました。クリスマスにちなんで、私の日常の中の奇跡のようなお話をしますね。

昨日は瞑想が終わって時計を見ると12時でした。日曜日のプールは、よほどのことがない限り、行くことにしています。年末で、様々な用事に追われていますが、身体が資本なので、そこは手を抜きません。水泳をすると、身体にたくさんの酸素を取り込むことができて、身体も心も満たされます。泳いでいる時も、泳いだ後もとても幸せです。

いつも12:15には家を出るのですが、さすがに15分で支度をするのは無理です。でも12:20なら行けるかも、とふと思ったんですよね。そして以前、大天使メタトロンが教えてくれたことを思い出しました。

「この時間に出たいと思ったら、時計は見ないで、やるべきことに集中しなさい。すると、時間が伸びて、あなたは思った通りの時間に出ることができるから」

頭の中に12:20という時刻がずっとありながら、いつもと同じように支度をして、車に乗って、時計を見たら、12:20でした。その後も、フィットネスクラブまで、15分はかかるのに、信号もほとんど青で、11分後には到着していました。プールに行くとすべてのレーンで誰かしら、泳いでいましたが、水中ウォーキングしながら待っていると、ちょうどいいタイミングで空いて、身体も暖まっているから、いつも以上の運動効果がありました。

車を停めようとしたら、いちばんいい場所が空いたり、迎えに行ったら、私も遅れたけれど、その人のバスも遅れて、ちょうどのタイミングだったこともありました。頭の中がいつもクリアなので、ひらめきやインスピレーションも、即座にやってきます。

朝と夜、一回35分ほど、瞑想の時間をとっていますが、どんなに忙しくても、一回も欠かしていません。それは、やらなかったら、普通の人生にもどってしまうからです。

私は日常を生きているのに、普通の日常ではないのです。シンクロニシティとミラクルが毎日起きていて、面白くてたまりません。

他の瞑想を試していないので、比べることはできませんが、こんな体験してみたい、と思った方は、ぜひ原初音瞑想を体験してみてください。インターネットで調べると、そのサイトが出てくると思います。

私は、クリスタルボウルの本を出版している、フォレスト出版さんにメール配信の登録をしました。いつも、引き寄せとか、願望実現という内容で、あまり、惹かれたこともなかったんですが、この原初音瞑想だけは、潜在意識が反応しました。

これが、今年の皆さんへのクリスマスプレゼントです。一人でも多くの方が、幸せを感じて生きてくださること、生きている喜びを感じながら、日々を過ごしてくださることが、私の願いです。私も、一生懸命生きていたけれど、ずっと幸せではなかったので、そういう方の気持ちがよくわかります。今は毎日、あふれるほどの愛と喜びと幸せを感じています。

だから、あなたも必ず幸せになれます。心が動いたら、調べてみてください。そして、実践してみてください。もしかしたら、すぐには効果は感じられないかもしれませんが、続けてください。幸せになるための努力を決して、惜しまないでください。諦めなかったら、必ず夢は叶います。

『HEAL』(奇跡の治癒力)

昨日は、横浜のみなとみらいで行われた「HEAL」という映画の上映会に行ってきました。このお知らせは、オーラソーマのメール通信から来たものです。日本各地を回っていますが、各地一回きりの上映です。

どうしても見たくて、3時すぎに、クリニックを出て、5時45分くらいに到着しました。圏央道を通ると、途中、渋滞していましたが、このくらいの時間で行くことができます。ただ、車のナビはまだ対応していなので、グーグルのナビを使っていきました。「左、ジャンクションです」などの言葉を聞きながら、運転していると、まさにゲームでした。映画もとても良かったのですが、ドライブが楽しくて、終わって家についたのは11時過ぎていましたが、疲れていませんでした。

気功の成果だと思います。いつも、身体にエネルギーが満ちています。太陽を頭の上で抱えるイメージの気功があるのですが、あれは太陽エネルギーそのものを、更にパワーアップして、身体に取り込んでいるように感じます。

映画終了後に、主催者から、この映画を皆さんで、集まって見ることの意義について、お話がありました。それは、今、胸に感じている、感動や、驚きや、喜びなどの感情を共に感じることの大切さでした。今、胸に感じている暖かい思い、それこそがHEAL(癒し)なのだと。私は、この暖かい感情は毎日、いつも感じている、と思いました。

いろいろな気付きのあった映画でしたが、私がいちばん思ったことは、「ゆるす」ことが、一番初めに起こる必要のあることではないか、ということでした。

身体の症状に現れてくるのは最終段階です。現代医学でも、患者さん自身も、その症状しか、みません。なぜ、その症状が現れてくるのか、原因について、考えることはありません。

忘れてしまうほど、遠い記憶の彼方に封印されてしまった心の傷が何年も、何十年もたって、目に見える症状として、現れてきている可能性もあります。

一人の人間は宇宙です。身体、心、マインド、ハートなどあらゆる要素がお互いに作用しながら、一人の人間を生かしています。どれか一つ、どこかのある部分だけを診ても本当の答えにはたどり着けません。ほとんどの人は、自分の心さえ、制御できません。外側で起きることに、簡単に支配されてしまいます。そしてそれに反応するだけです。

例えば、人の悪口を言うのは良くないことだと、みんな知っています。でも、自分に害が及ぶ時は、当たり前のように、相手を非難します。立ち止まって、なぜ、こういうことが起きているのだろうかと、考える人はほとんどいません。

自分が幸せなら、人が何といっても、気にならないんです。自分のことが大好きだったら、誰かが私のことを非難しても、侮辱しても、「ホント、私、バカだなぁ」って笑いとばせるんです。

でも、自分が自分のことを好きでなかったら、相手の言葉は暴力であり、凶器にもなります。だから、相手を許すことはできません。

「私は、もうこの十年以上、怒ったことがありません。」と言ったら、皆さんは、何と思うでしょう。嘘だと思うでしょうね。元々、誰かに向けて、感情を爆発させることはほとんどなかったのですが、いちばん最後に怒った日の出来事は、今でもよく覚えています。

父と電話で話をしていて、ある人の悪口を私は言っていました。父が狼狽するほど、私は、次から次へと、その人の悪口を言っていました。言いながら、いつか、自分に天罰が下る、とものすごく恐怖を感じていました。

しばらくして、ある言葉に出会いました。それは「どんな人も自分のベストを尽くしている」という言葉でした。だから、責められる人は誰もいないんです。

私は、自分のことをずっと責めていました。愛したことなど一度もない人間でした。いつも、「もっとこうだったら良かったのに」と思い続けてきたんです。人を責めている裏には、いつも、自分を責める気持ちが隠れていました。

でも、きっと時が満ちていたのでしょうね。たった、これだけの言葉なのに、許しが起こったんです。その時々で、すべてがパーフェクトだった。私はいつも、ベストを尽くして生きてきた。できないこともたくさんあったし、失敗も数えきれないくらいした。でもあの時の私にはそれが精一杯のことで、頑張って生きてきたんだ。それがわかったんです。

同時に、みんなそうなんだ、と思いました。その人は、それがいいと思って、その人の精一杯を生きている。だから、たとえ、私が傷つくようなことをしても、それがその人の精一杯なんだと受け止められるようになりました。

今では、もう一歩すすんで、その人を通して、神様が、私に言っている、と思います。相手の中にも神様がいる、とまではまだ思えないのですが、その人を通して、私を試していると思うこともあるし、教えてくれていると思うこともあります。だから、全然怒らなくなりました。

前回、ご紹介した原初音瞑想は、自分が生まれた時に地球で聞こえた宇宙の音をマントラとして使います。100種類の中から、一つ、自分だけに授けられるものです。5千年もの間、グルやマスターから、受け継がれてきたものです。その音を唱えることで、生まれる前に、宇宙意識と一体だった時の自分とつながり、その時あった無限の可能性と共に、瞑想後の生活にもどってきます。

顕在意識だけでは思考の外に出ることはできません。思考のおしゃべりは途切れることなく続き、同じことを繰り返し、死を迎えます。瞑想することで、思考の外に出ることができ、いつもの自分ならとらない行動や、考え方をして、それがまた新しいものを連れてきます。

気功や瞑想は一人でできるし、身に着けてしまえば生涯、宝になります。ただ、実際に、自分でやってみなければ、何もわかりません。少しでも、興味を惹かれたら、やってみてください。何事もそうですが、毎日続けたら、本当に奇跡が起こると思います。現状を嘆くことをやめて、自分のできることを一つでも、本気でやってみてください。

人生は可能性と喜びにあふれています。それをあなたの人生で感じてください。あなたは必ず幸せになれます。その途上で、泣くこともあるかもしれないし、苦しみにうちひしがれることもあるかもしれません。

でも、自分と向き合うことは、癒しにつながっています。いつか、すべてが恵みであったと気付く日がきます。